さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12度から25%、湿度は80%から37%、風は2mから4mの西北西の風がそよそよと・・・。明日の22日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。
すっかりと夏の空になってしまったが、これだけでは終わるまい。やがてにはうんざりとするほどの「梅雨」がやって来なければ、本格的な夏にはなれそうもない。
昨日、「おへんろつかさの会」の渡邊会長からお呼び出しがあったもので、町内にある「さぬき市歴史民俗資料館」にやってきた。ここで、渡邊会長と藤井先生は、古文書解読のお仕事をしているとのこと。
そこで、「おへんろつかさの会」のホームページの更新作業についての打ち合わせになった。会長自らが、ホームページを立ち上げたらしいが、あれこれと作業が多くて、更新どころではないのだという。そこで、私に白羽の矢が当たった・・・らしい。
ま、私も前から気にはなっていたので、自分なりに、こうやればいいのに・・という腹案はあったもので、大筋では合意できた。それなりの準備もできていた。
で、気軽な気持ちで引き受けてきたのはいいのだが、私はオーソドックスな、「クラシック」というバージョンで運用しているのだが、今度は、「SP」でやる・・というのである。簡単バージョンなのだが、まるきり勝手が違う。メニューも簡単だし、操作も簡単なんだが、簡単過ぎて、どうやればいいのかがわからない。
あれこれとやってみるのだけれど、なかなかにはいうことを聴いてはくれない。
最後の最後、サーバーに手が届かない。メール・アドレスが違うと言われてばかりで、ドメインにまでたどり着けない。転送用のプロトコルもわからない・・・。「保存したら、転送でおしまいやから・・」とはいうものの、その前段ができないのでは、転送にもならないではないか・・・。一度、設定してしまえば、あとは、保存+転送・・でいいのだけれど。
ま、来週の火曜日まで、あれこれとやってみて、火曜日には、会長のPCをお借りして、転送部分を真似して設定すればいいだけのこと。それまでに、こちらでできることをやっておかねばと考えている。
さて、ものはついでである。「みろく石穴」の復習をやっておく。江戸時代の末期近く、掛け井と呼ばれる山裾を回る水路では漏水が多くて、みろく池まで水が届かなかった。そこで、軒原庄蔵は、友人らの力を借りて測量を重ね、山の底を一直線に「石穴:トンネル」を掘ることを考えついて藩の許可を頂いた。その掘削の様子である。
これが、そのときの絵図面だというが、これだけではわからないので、赤線を入れてみた。この部分が「隧道」になっている。実際には、こんなに長くはなくて、105間、189m。これを3年間も掛かって、昼夜12人体制で掘り抜いた・・・というから大変な工事だったことがわかる。
ということで、今日は「山あり、谷あり・・」の一日になった。
あ、そうそう、久々にお布団を干して、毛布を片付けて夏用のお布団に入れ替えた。でも、朝夕は涼しいが、夜中は暑いという時期にもなってきた。布団をかぶったり、蹴ったりの複雑な時間が過ぎる。
夕方もまた、さわやかな青空になったことである。
今日の掲示板はこれ。「人間の可能性を閉ざしているのは、他人でもなく、外部環境でもなく、自分の意識である」という、掘義人さんの言葉から。父は原子力の研究者だった。幼少時には米国で、高校時代はオーストラリアに暮らした。京大工学部を出て入社した住友商事では、重化学プラント貿易に携わった。会社派遣で留学したハーバード・ビジネス・スクール(HBS)で、価値観がぐらりと揺らぐ。米国人の友人たちから「なぜ大企業に勤めるのか」と不思議がられた。新たなビジネスを立ち上げる起業家こそが社会を変革する原動力であり、かっこいい存在なのだ、と。HBSでは、自らを企業の経営者の立場におき、どんな戦略をとるべきかを議論する。2年間で800以上の事例で学ぶ「ケース・メソッド」という学習方法では「あなたならどうするか」を、徹底的に考えさせられた。28歳だった堀は、図書館の中庭の芝生で寝ころびながら考えた。「このスクールはすごいな。こういうビジネススクールを日本につくれないだろうか」。学んでいる大学院自体を、起業対象として考える。堀の夢は、こうして生まれたのだった。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。