さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は13度から21度、湿度は78%から48%、風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の17日は、寒気を伴った気圧の谷や東からの湿った空気の影響で雲が広がりやすく、日中は雨の降る所がある見込みらしい。
またしても丸亀市の丸亀市立資料館にやってきた。さすがに「刀女子」の姿はぐんと減った。でも、最近の女性は背が高い。背が高いというのか足が長いというのか・・、女性の肩が私の頭よりも高いのには驚いてしまう。
「京極家の家宝展」は二階の展示場だが、こちらは一階の展示場で、お年寄りがちらほらと見えるばかり。古九谷とか備前とかの焼き物ならば大勢が並ぶのだろうが、「源内焼」などという焼き物は「なんでも鑑定団」でも記憶にはない焼き物である。でも、人知れず有名な焼き物らしい。
源内焼・・・とはいうものの、平賀源内が実際に焼いたものではないし、源内が工夫した訳でもないらしい。江戸時代には「志度焼」とか「四国焼」とかと呼ばれており、箱書きにもそう書いてある。明治になって、「これは少し変わったものだから、源内が考えたに違いない」と考えたのだろうし、地元の「源吾」という焼き物職人が源内に相談をして構想を考えてもらったことにも由来するのかも知れない。
これがパンフレットの表紙にもなっている「二彩万国地図皿」というもので、南北アメリカ大陸がデザインされている。この西半球の図皿は型押しの浮き彫りが鮮明に出ているだけでなく、現存品の中でも特に保存状態が良い逸品である。大東洋の波の形が一点の擦れも無く、中央に方位盤を置き、陸上にも沢山の地名の書き込みを読むことが出来る。
これは「三彩蘭字文透彫脚付角鉢」といい、中央の見込にある欧文文字を文様として描いてあり、こうした皿や鉢を見た江戸時代の人は驚いたことだろう。当時の人の中には大名等への贈り物に使う時、舶来物と思わせる意図もあったようである。蘭字文の中でも、この透かし彫りの作品は図抜けた逸品に仕上がっており、四角の縁に花唐草を透かし彫りで飾り、最も外の縁を紫で、花や膏を赤と白で彩り、茎・葉を緑粕とし、見込の蘭字文様の緑粕を一層引き立てている。
「三彩軍配形脚付鉢」である。軍配の形で精緻な文様を配する優品で、波形で周囲を巡らせた口縁部は緑粕で彩色。見込は広い部分を占める白色に中央左右に赤色が配色され、華やかな印象を受ける。見込の上部左右には亀甲が重なる文様、下部には花菱文となっている。
少し変わったものを・・・。「二彩山水図火鉢」である。これは「屋島焼」で、五剣山と屋島を表わしている。屋島焼は初代林里が、文化2年(1805)屋島の麓潟元で窯をつくって始めたもの。林里は林蔵、林造とも言い、宝暦2年(1752)牟礼村に生まれ、志度村にて堺屋源吾に焼物を教わった。安永5年(1776)平木村の三谷家へ養子に行き、嘉永元年(1848)数え年97歳の長寿を全うした。
「三彩西湖図火鉢」で、西湖は中国・杭州の西に位置する湖。周りを古刹・旧跡の点在する山々に囲まれた景色は美しく、古くから人々に親しまれてきた。源内焼の中でも西湖図を最も美しく取り上げた逸品である。この火鉢は図柄、仕上げが美しいだけでなく、「寛政十午初冬作之讃易舜民」と製作年月と銘のある貴重な存在らしい。
これまた変わったもので、「三彩福禄寿置物」という。七福神の一つである福禄寿は、背は低いが長頭で髭を長く生やし、持っている杖には経巻を結んでいるという特徴をすべて備えている。幸福・封禄・長寿の3徳を具現しているという福禄寿に相応しく、強調された長頭も、温厚で気品のある顔立ちによって、自然で微笑ましい雰囲気を醸し出しており、配色も良く、「鳩渓」銘の作品中でも特別の逸品であると思える。
これは、「三彩獅子に雀置物」というもの。これは平賀源内が所持していた「ヨンストン動物図譜」から写したものと考えられ、この作品には獅子の腹部にへラ書で「鳩渓」、その下に「舜民」の角印が押されている。この書き方だと鳩渓と言う人物が舜民という号を持っていることになるが、鳩渓は源内その人の別名で、舜民とは別人である。このような作例は本展では「三彩竜虎文徳利」がある。贋物作家の作品かと疑われるが、そのような作品が松平家に受け入れられるとは考えらない。また「徳利」も庄屋渡達家に納められたものであった。そこで考えられるのは、舜民は源吾の号であり、源吾は源内の甥であって、堂々と2代目鳩渓を名乗っていたのではないのだろうか。
これが、その徳利の「三彩竜虎文徳利」である。徳利の口から首肩まで紫に、その下全体を緑袖にして、雲に乗る右向きの自竜と岩上に立つ左向きの黄粕の虎を、隅切り四角柱の一対の徳利に描いてある。竜虎の上部には五言絶句の漢詩を2行ずつへラ書きで彫り、背面に当たる面には「鳩渓造」「舜民」角印とあって、色粕の美しさと相侯って、格調高い優品となっている。
これは「三彩筆洗」で、ボストン美術館のモースコレクションにも入っている逸品である。エドワード・シルベスター・モース(1838~1925)はアメリカの動物学者で、明治10年(1877)来日し、東京大学理学部教授として同12年まで在職、大森貝塚を発見するなど日本の動物学、考古学に大きな足跡を残している。その研究のかたわら日本の陶磁資料についても調査、収集をして、それら収集品3000点をボストン美術館に寄贈されている。「SHIDO」として源内焼が24点収録されている。(同展示会資料から)
この展示会では個人蔵の皿や鉢などが80点余りと、火鉢や置物・水差・菓子器・徳利などが30点ほど・・・。特徴のある緑色の焼き物が並ぶさまは壮麗なものだった。会期は11月29日まで。月曜日が休館日。観覧料は無料。開館時間は9時半から午後4時半。
今日の掲示板はこれ。「毎日を私の一番若い日として生きましょう」という渡辺和子さんの言葉から。渡辺和子さんは1927年生まれ。聖心女子大を経て、上智大大学院修了。ノートルダム修道女会に入り、アメリカ留学後、岡山市のノートルダム清心女子大学長に就任、90年まで27年間務める。現在はノートルダム清心学園理事長。著書「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎刊)が100万部を超えるベストセラーとなった。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。