さぬき市地方は高気圧に覆われ概ね晴れていた。気温は今年初めての氷点下0.2度から10度、湿度は81%から51%、風は0mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の9日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、朝まで雨や雪の降る所があるらしい。
こんないい日にはどこかに出かけたいものだが、いざ行く・・・となると行きたい場所がない。それに、やりかけたお仕事がまだ残っている・・・ということで、天気がいいのにデスクワークになった。
この古文書の読み取り作業・・・。俵札とも納め札とも遍路札とも巡礼札とも呼ばれているもの。これの解読作業。
気の遠くなるような作業だと思ったが、目が慣れてくると平気になった。困るのは古い地名や名前の読み方である。こうしてみると、女性の名前が多い。男性の名前はそれほどでもないが、こんな名前があるのか・・・というものもある。「シヌ」だの「タレ」だの「コツ」だの「タマ」だの・・・と。親もだいたいで名付けたんだろうか・・・。
それを印刷して、小切りにして、ファイルに差し込んでいく。この100枚の中から、60枚とか50枚とかをさらに選んで展示することになる。
こうして、田淵家の天井裏にあった「俵札」2,344枚の中から、遠隔地10枚、さぬき市内から86枚、合計96枚の整理が完了した。
明日の2月9日には、へんろ資料室の奥の部屋の展示品解除が行われる。古い納経帳や紀行文などが倉庫に収納されて展示ケースがからっぽになる。そこに、寒川家、飯田家、田淵家の納め札が展示される予定。私はこれで準備完了だ。
わが家から見ると、これは何をやってる工事なんだろうかと思って居たが、
別方面から見ればこうなっていた。ということは、この手前側を削り取るってことか。
こういう風に斜めに切り取って、カーブをゆるやかにする計画なのか・・・。まだ、わからんけれど。こういうのは、自治会とかに周知するようなもんだと思うのだけれど。
お仕事も一段落したので、午後からはさぬき市南部へドライブに出た。大窪寺周辺に行くと、山陰には昨日の雪が残っていた。道路には雪のかけらもないが、除雪車や融雪剤を撒いたのだろう。
本山での研修も終わったし、四月の下旬までは公的なお仕事は入っていない。その間は、昨年からの研究の課題、「四国遍路の闇と影」の論文整理やら製本作業やらをやって、その後は、この「田淵家俵札調査最終報告書」を作成することにしよう。
その間に、県立病院に入院して「腹水がたまらなくなる方法の調査」もやっていただかなくては・・・。
今日の掲示板はこれ。「欲しいものはたくさんあるけれど 必要なものはそう多くない」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。若い頃には「あれも欲しい」「これも欲しい」と思っていたが、年のせいかどうかは知らないが、あんまり欲しいものもなくなってきた。欲しいものと言えば、 新しいパソコンとかタブレット端末だとか、レーザープリンターとか・・・。でも量販店でながめていても、「必要かなぁ」と考えるとどうでもよくなってしま う。衣類でも図書でも似たようなもので・・・「欲しいものはたくさんあるけれど、必要なものはそう多くない」。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。