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毎日が 生きる命の 野辺の花

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 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は3度から13度と冷たい朝になった。湿度は72%から55%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 こんな日はお散歩だな・・・と、またも歩くことにした。ただ、ブラブラと歩いて居たり、はっきりとウォーキングをしている・・・とは思われたくないので、重いけれどデジタル一眼を担いで歩く。歩いて居ると、「鳥を探しているのか?」とか、「蝶々を探しているのか」と聞かれるけれど、単なる散歩の道具だけなので、あいまいに「春を探しています」と返事をしておく。

 

 と云うことで、今日は少し足を伸ばしての散歩になった。同じ町内なんだけれど、北に向かって進んで町境の山に登ってきた。

 

 手前の赤茶色の屋根が、旧幼稚園、向こうの鉄筋コンクリート建ての建物が旧の小学校、その右に見える建物が旧の保育園。全て閉校、閉園になってしまった。

 

 さらに県道津田川島線を北上して「友近」という集落にある「八剣(やつるぎ)神社」に寄った。この「随身門」が有名な建物で、小さな村の小さなお社にし ては立派な門。この門の棟梁はこの地の大工だが、そこにある彫刻は、塩飽大工として有名な塩飽本島生ノ浜(いくのはま)の橘貫五郎と千代蔵、そして同廣島 の嘉三郎が刻んだもの。完成は明治元年(1868)である。

 

 この彫刻がそれらしい。こんな所にも塩飽大工の仕事が残っている。

 

 これが、その案内板。塩飽本島の橘貫五郎というのは超有名な塩飽の大工の棟梁で、備中国分寺五重塔と善通寺五重塔を建てた。ま、親子何代か貫五郎を世襲したらしいのだが。

 

 火山(ひやま)の南麓、北地(きたじ)集落にある。真言宗善通寺派。花生山蓮花院と号し、本尊阿弥陀如来。寺記では行基開創、空海建立。宝蔵院古歴記(松浦文書)によると天長6年(829年)建立、元来宝蔵院(現長尾町の極楽寺)末寺であったが、延喜10 年(910年)印清が富田院主を号して同院を離れ、翌11年再び末寺に復したという。戦国期には安富氏に強引に与田寺(現大内町)の末寺にされたことが あった。天正4年(1576年)増玉が正御影供を修し、安富筑後守は家臣六車宗湛をして銅鉢を寄進させたという(御領分中寺々由来)。

 

 西教寺より下方左側には、西教寺六面石憧(せきどう)が有る。『県指定有形文化財:昭和51年6月29日指定・二基』で、石憧は笠(屋根)や憧身(屋根か ら下の部位)が六面或いは八面をした石造物で、供養や経塚の標識として造立されている。西教寺六面石憧は、南北朝時代の代表作で、凝灰岩が用いられてい る。石憧は東西に2基並んでいて、『讃岐名勝図絵』には、この付近に西教寺山門が有った事が記述されている。東塔=憧身は高さ約1.4m幅約42cm一面 の幅は約28cmで正六角形で、一面に「永和2年3月24日(1376年)と刻まれている。

 

 これが、その石憧。さすがに、このあたりまで来ると休みながらの散歩になる。

 

 だらだら坂をだらだらと登って行くと、こんな看板がある。「遊歩道」とは書いてあるが、なかなかに厳しい山道。

 

 やっぱり、登り坂になると、息がきつい・・・。こういう登山道をえっちらおっちらと登って行く。今日は暑いくらいになってきて汗が流れ始める。だから、木陰で一休み・二休みしながら登って行く。

 

  西教寺から800m位登った火山(ひやま)の中腹に「穴薬師」(梅が谷)がある。少し前までは、お寺で鍵を借りていたのだが、最近は誰でもお参りできるように扉が開いている。

 

 堂内には高さ約90cm薄肉彫りの磨崖仏厄除薬師如来像が岩崖内の壁面に刻まれて いる。薬師如来像の右側には、高さ約1mの十二神将一体が厚肉彫りで刻まれ、その他に浮き彫り線刻等の手法による小像や丸彫りの像が安置されている。

 

 ゲンノウ(玄能)と石ノミだけで石を彫るのはたいへんなことだ。

 

 堂外の岩壁には、頭部の長さ約70Cm、胸部までを肉厚彫りにした半身の巨大な薬師如来像磨崖仏がある。『西教寺の磨崖仏 「彫刻」大川町指定文化財(現さぬき市)(昭和43年5月1日指定)』伝(?)空海作。伝説によると・・・弘法大師がこの像を掘り終える前に、鶏が鳴いてしまったので、途中で中止して大窪寺へ向かったという・・・。その鶏が鳴かなければ、この西教寺が88番札所になっていたかも知れない・・・というおはなし。更に、この像の上方約50mの所に、線刻の近い薄肉彫りによる高さ90Cmとその両脇に高さ約50Cmの不動明王の像がある。

 

 この岩は少し硬すぎてあきらめてしまったのかも。

 

 帰り道の民家には、黄色いミモザの花が満開だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きることに満足せずして 何に満足するのか」というもの。これこそ、町内にある善楽寺さんの掲示板から。人間の根本的なことは「生きる」ということ。それには「食べる」ということが必要になり、「生き抜く」という力が求められ、そこから更に「学習」だの「経済」だの「文化」だの」「宗教」だのが求められる。この地上にあるすべての生き物は、「生きる」と言うことに「満足しなくては」次のステップが踏み出せない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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