今日の京都地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後は気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がるらしい。気温は16.8度から29.3度、湿度は96%から52%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の7日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎからは断続的に雨が降る見込みらしい。大気の状態が不安定となるため、雷を伴うところがあるという。
さぬき市や東かがわ市あたりは朝から曇っていて雨でも降るのか・・というような雲行きだったので、傘をどうしようかと考えていたが、荷物になるからとおいてきた。で、9時22分発の高速バスに乗るのに、1時間前の8時過ぎに、ここに来てしまった。帰るのも意味がないと考えて、そのまんま、ここでバスを待っていた。いや、別に慌てた訳ではないし、急いだ訳でもない。単なる時計の見間違いだった。
昨夜は22時過ぎには寝たのだが、どういうわけかバスの中では熟睡してしまっていた。昨日、一昨日のバタバタで気疲れしていたんだろうか。他人さんがいる前で寝るということはできない私なんだけれど。
天王山トンネル内での工事があって、その渋滞の影響で20分遅れでJR京都駅烏丸口には12時35分着になった。相変わらず修学旅行生と外国人の声が多い。
例年の通り、まずは東本願寺さんにおまいりをする。工事も終わってきれいな建物になっている。
コンビニやその周辺に若いお坊さんが多く歩いていたが、こういう、修学旅行生の案内をやっている。予定時間や帰宅時間を聞いて、生徒さんたちを案内したり、こういう、記念撮影までやっている。もちろん、おとなの方たちを案内するガイドさん役もやってる。
たまげたのは、こんな風に乗用車が走っていることだった。むろん、許可を得た車か業者さんだろうが、クラッシャーランをバリバリときしませて走り抜けていくのには驚いた。
次いで本願寺さんへもご挨拶を。
ここにも修学旅行生や外国からの観光客がいたが、東本願寺ほどでもなかった。最近は数人の少ないグループ(班みたいな)になり、タクシーでそれぞれの名所を回り、運転手さんがガイドするようになっているらしい。
そういえば、先週に、京都にやってきて、六波羅蜜寺の見学や三十三間堂や東寺の仏像をお勉強に来たのだった。ずいぶんと昔のことのように思ったが、先週の日曜日のことだった。
みなさん、お土産を手にしているが、ここはグループではなくて集団行動になっている。この子たちは中学生みたい。リュックザックにお土産の紙袋というスタイル。白のズック靴がかわいいなぁと思う。
一本、筋が違えば生徒さんはいない。ま、こういうお店には中学生はご縁がないかもしれない。
ここが今回の目的地の本山興正寺。15時過ぎに到着したが汗まみれになっていた。すっかりと夏になったなぁと実感したことだった。
今日の掲示板はこれ。「ものが縛るのではありません ものをとらえる心に縛られるのです」というもの。これは仲野良俊師(1916~1988)の『三誓偶(さんせいげ)講話』1983年発刊、東本願寺出版部)にある言葉である。師は京都府のお生まれで、大谷大学卒業後、1942(昭和十七)年からビルマ(ミャンマーで日本語学校の教員をされ、1956(昭和三十二年より真宗大谷派教化研究所所員をされた。それ以降は教学研究に携わられ、北海道教学研究所所長、教学研究所所長を歴任された。また、真宗大谷派専念寺住職でもあった方でもある。生活がよくなるのはいいこ とであるが、白黒テレビを買えば、カラーテレビ、その次は大きなテレビ、さらには二台目のテレビと欲望は広がっていく。物を得てしばらくは幸福感があるけれど、後は当たり前になり、欲望はさらに大きくなっていく。この欲望となってくる心に注目しないと、物に流されるだけの生活になってしまうもの。このこと を仲野師は、便利な物を手に入れれば、もっと便利な物がほしくなるといい、結局は次々と出てくる欲しい物、必要な物に縛られた生活になっていくとされたのである。しかしその実は、欲しい物に縛られるのではなく、欲しい物をとらえる私の心に縛られていると言われるのである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。