高松市地方は梅雨前線上の低気圧が四国の南海上を通過するため、雲が広がり昼過ぎから雨が降ってきた。気温は22.5度から26.6度、湿度は92%から81%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の13日は、梅雨前線や低気圧の影響で雲が広がり、明け方まで雨が降る見込みらしい。
今日は歩き遍路の日だから、暑くならねばいいが、雨が降らねばいいがと考えていたが、朝からどんよりとして涼しい朝になった。ギンギラギンの太陽だったらどうしようかと思案したものだった。もっとも、思案したところでどうにもなららないのだけれど。
今月の「讃岐一国逆打ちへんろ」は、先月は屋島寺からJR木太町駅まで歩いたので、今日は、JR木太町駅から83番札所の一宮寺を打って、JRの鬼無(きなし)駅まで歩くことになった。計画では、一宮寺からJR国分駅まで歩く予定だったが、天候が悪いことを考慮して変更された。
8時前から、JR木太町駅には大勢の会員さんが集まっていた。みんな、やる気満々だ。ここを8時前に出発して松縄町・伏石町・太田下町・太田上町・三名町を歩いて一宮町へ。
本日の参加者は19名。私は撮影担当と輸送係。足を痛めたりケガをした人を運ぶ係だから、ポイント・ポイントで待ち受けている。
先日だかに、下見をして計画をしていたけれど、この一行はまた違うルートを歩くものだから、先回りをするのが難しい。これは野田池という池の堤防上を歩いて来る。
お寺参りの筈が田村神社というお社に入っていく。10時40分から11時半まで、ここで昼食と休憩となった。肝心のお寺参りは、その合間に個人でどうぞ・・という。
今日は日曜日だから・・ということで、日曜日しかやっていない「田村神社うどん」を食べることにした。一玉が150円で二玉ならば300円になる。
150円を支払うと、こういう食券が渡される。これをカウンターへ持って行くとうどんが出て来る。
こういう質素であっさりとしたおうどんである。
てんぷら類は1個100円均一。バクダンというものが有名らしいが油物は控えたいのでパス。
お店の中(神社の食事室らしい)はこういう感じ。この手前のおじさんが勘定方。ここで料金を支払う。で、奥のテーブルで食べて、また、ここへ食器を返納する。セルフサービスである。
神社の境内にあった「力石」。昔はこういうもので遊んだり競ったりしたものらしい。重い物を運べば賃金も高かったので、競争したものらしい。今は誰も見向きもしない。
驚いたのが「人形」の山・・・。男の子の武者人形や藤娘や西洋の人形なんぞが盛り上がっている。ここはまだ整理されているからいいようなものだが。立派な人形も子供が大きくなれば無用の長物か・・・。
11時半に田村神社を出発し、お隣にある83番札所を素通りして、JR鬼無(「きなし)駅に向かう。希望者はすでにちゃんとお参りを済ませている筈だ。
ここが、会員さんの別所さんという方がやっている「おへんろさん休憩所」である。屋根が源平の戦いの「扇」と「弓矢」になっている。ここで奥様から冷たい飲み物やお菓子などのお接待を受けた。
雨がポツリポツリと降り出した中を19人は黙々と歩く。こうした石仏や道標が目印となる。こういうところで待っていて、「次は左に曲がります」とかの案内を出す。この水門の赤い矢印は「順打ち」の表示で、「82番から83番に向かえ」の意味である。私たちは、この逆に歩いている。
香東川(こうとうがわ)を渡る頃には本降りとなってきた。
これが一宮寺から根香寺(ねごろじ)に向かう歩きマップである。この図の中央を「香東川」が流れている。ここの沈下橋を渡っているのが上の写真である。
雨は一段と激しくなってきたが、みなさんは傘をさして黙々と歩いて、JR鬼無駅に到着した。私はこれでお役目終了。皆さんとお別れして帰途についた。
今日の掲示板はこれ。「この泥が あればこそ咲く 蓮の花」というもの。「この泥が あればこそ咲け 蓮の花」と詠んだのは与謝蕪村。似たような句である。「蓮の花」は泥の中に根付くというか、泥がなければ根付かない。泥の中であろうと澱んだ水であろうと、蓮は、澱んだ水を突き抜けて水面に花を咲かせる。ひとの世も同じ。この世は「泥」、澱む水は人々。そんな「泥の世」で、「よろこびの華」を探すことは容易なことではないが、泥の中だからといって後ずさりし、ひるむのではなく、怠らず、たゆむことなく励んで、力を超えた ところの力が与えられることを信じ、自分を信じ、自分を支えてくれる周りの人々を信じ、ただひたすらに「生かされている」ことを感謝しながら生きてゆきたいものである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。