さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。気温は20.6度から26.6度、湿度は94%から82%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の2日は、引き続き、前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降る所がある見込みらしい。
今日から10月。今日1日は年始から275日目にあたり、年末まであと91日、3ヶ月ある。官公庁では、第二四半期が終わり、第三四半期に入った。今日から共同募金が始まり、胸に赤い羽根をつけたアナウンサーや政治家さんの姿が目に付くようになる。
で、今日は少し足を伸ばして、「西村ジョイ・屋島店」というホームセンターに寄ってみた。開店直後だというのに、一般の駐車場は満車。警備員の誘導で二階の駐車場に回された。
今日の私のお目当てはこれ。「肥後守定駒”水飛沫(みずしぶき)”」である。2014円だった。まるで水が付着しているように見えるけれど、これは模様である。
そこから引き返して国道11号線を東進してさぬき市志度まで戻った。さぬき市立志度図書館である。ここで借りていた5冊の本を返却して、また、別な5冊を借りた。
こんな郷土資料的な本である。はてさて、参考になるのかどうか。
今日は土曜日ということで、学生・生徒さんが自習をしている姿が多かった。「へぇ~、まじめに勉強してはるんや・・」という印象だった。この頃の子供さんはみんな自分のお部屋を持っているんだから、自分の部屋で勉強すればいいのにと思うのだけれど・・・。
その後、町内にある富田神社に寄ってみた。今日から秋祭りだというのだが、閑散としたもの。祭神は「品陀和気命」、「帯仲彦命」、「息長帯日売命」だということだが、どう読めばいいのかわからない。最初の神さんは「ほんだわけのみこと」と読むのかも知れない。
由緒は、その昔現在の神奈川県の寒川神社の分霊を勧請して、寒川神と称して、一郡の総鎮守として奉祀したらしい。このことから郡の名、寒川はこれより名付けられたと言う。また一説には貞観3年(861)富田弥太郎則朝が紀州鳩ケ峯八幡宮の分神をお迎えして、当社に合祀して難波八幡とも言われたということである。雨滝城主であった安富肥前守盛方の長臣六車左衛門大夫宗堪が当社に奉仕して以降祠官となって今日に至る。現在の六車博氏は15代目に当たるという。明治3年郷社に列せられ、寒川八幡宮を富田神社と改称した。
境内には「香川の保存木」に指定された大楠があって、樹高20m、根周り16mあり県下3番目の大木であるという。
少し前には子供の数も多くておまつりも賑わったけれど、今日のお昼には「タコ焼き屋さん」が一軒だけ、ぽつんとあっただけだった。明日には2・3軒が並ぶのかも知れない。
町内では、お店の前や工場の前などで獅子舞や奴さんたちの元気な声が響いていた。
今日の掲示板はこれ。「ときどきは息抜きをする それが生き抜く力となる」というもの。お遍路の先生である「桜谷大先達」さんが言うことばに、「お遍路は三こうである。健康(けんこう)・観光(かんこう)・信仰(しんこう)である」らしいし、そのお弟子になった白山さんは、「年寄りは、今日行く(教育)、今日、用(教養)が大切でっせ~」というが、似たような発想だなと思った。私は毎日、息抜きばかりをやっているのだけれど。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。