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アイリスも 願いも供えて 大師堂

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は8.1度から21.6度、湿度は94%から62%、風は1mから4mの東南東の風が一時は強かった。明日の25日は、高気圧に覆われて晴れるが、昼過ぎからは気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 今日は天気もいいし・・・ということで、少し足を伸ばしてみた。と言っても、私のこの足が伸びた訳ではない。ここは、徳島県石井町にある真言宗善通寺派別格本山の寺院、童学寺。

 

 山号は東明山(とうめいざん)、本尊は薬師如来。空海(弘法大師)学問所の由緒から学業成就の寺として広く知られる。四国別格二十霊場二番札所。四国三十六不動尊霊場十一番札所。

 

 石井町では、「地福寺」、「徳蔵寺」、「童学寺」という三ヶ所のお寺の藤を見て回る「石井の藤まつり」をやっている。そこで、今日は、この童学寺にやってきたというわけ。

 

 『阿波志』等に伝える寺伝によれば、飛鳥時代、行基が創建したという。奈良時代末から平安時代にかけ空海が7歳から15歳まで当寺で書道や密教などを学び、『いろは四十八文字』を創作したと伝わる。(実際には、その説は否定されている)

 

 その由緒から寺号を童学寺と称するようになったとされる。弘仁6年(815年)、空海が42歳のときに再び当寺を訪れて伽藍を整備し、自らが彫刻した薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩、持国天、毘沙門天、歓喜天を安置したという。

 

 童学寺の近くには「石井廃寺跡」(徳島県指定史跡)という奈良時代前期にさかのぼる寺院跡が存在し、これが童学寺の前身ともいわれている。石井廃寺跡からは、金堂、三重塔などの建物跡が検出されており、東に塔、西に金堂が建つ、法起寺式伽藍配置であった。 正和元年(1312)津茂・松家両氏の発願により大規模な修繕が行われたことが、現存する棟札からわかっている。

 

 平成29年(2017)3月25日午後5時30分頃、庫裏(住居兼台所)が火元とみられる火災が発生し、本堂及び庫裏などの建物が全焼、国指定重要文化財の木造薬師如来坐像は運び出され無事だった。

 

 これが昨年同季の本堂である。左下は納経所。

 

 本堂内はこのような無残な姿に・・・。

 

  3月の火災で本堂などが全焼した童学寺の本尊で国指定重要文化財の「木造薬師如来坐像(ざぞう)」(像高64センチ)が23日、初めて一般公開され、約2千人が参拝した。本堂に隣接する聖天(しょうでん)堂で特別御開帳法要が行われ、塩田龍澄(りゅうちょう)住職(39)ら5人の僧が読経する中、信者らは坐像に向かって手を合わせた。

 

  帰りの宮川内ダムにかかっていた鯉のぼり。強い西風を受けて元気よく泳いでいた。

 

 午後からはまた、護符展示用のパネルを作っていた。どういう展示になるかは手探り状態。

 

 できることから、コツコツと・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「この世にはいろんな山がある それぞれにそれぞれの頂きがある」というもの。「この世にはいろんな花がある それぞれにそれぞれの花びらがある」みたいなことか。人によって、それぞれの山のイメージがあり、山というと乗り越えなければならない試練にも感じるけれど、もう少し身近なものでイメージすると目標であったり、目的であったりするかも知れない。頂きはそれを乗り越えたとき、達成したときに感じるもので、そこから見えるものは、それまでの景色とは違うはず。これも「荒了寛」さんのことばから。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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