さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18.5度から26.1度、湿度は88%から60%、風は0mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の17日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
明日、我が家で「父の日を祝ってもらえない男たちの集い」という、毎月の兄弟会が行われるというので、急遽、奥方はお休みをとって、会場のおこたを片付け、掃除機をかけて大掃除をやっていた。その間に、私は奥方の野菜畑周辺の草刈りをやっていた。
10時になったのでおでかけをして、この業務スーパーで食材を買った。
どこかのおじさんやらおばさんやらがたくさんに買い物をしている。食堂か居酒屋のおねえさんだろうか。
毎日がお買い得なんだろうが、それにしてはお客さんが少ない。一般の方でも買えると思うのだが・・・。最後には、普通のスーパーに寄ったのだけれど、そこには大勢の買い物客が並んでいた。何が違うんだろうか。
お昼近くになったので、奥方の好みで、ここに寄った。「バーミヤン 高松十川店」だった。たまには中華料理もいいでしょ・・みたいなことだった。
なんだか、こういうお店は落ち着かない。
で、どこかの名物料理だとかの「冷麺」みたいなものが出てきた。ま、野菜が豊富でよしとするか。
お昼からは、明日の講演会の準備をやっておく。
前々々回は、このストップ・ウォッチが動かなかった。ま、なくてもいいんだけれど。
前々回は、この指輪が動かなかった。ま、マウスがあれば問題はないのだが。
前回は、このポインターが動かなかった。いずれも乾電池不足だった。今回は全部、電池を交換して動作を確認した。
プロジェクターも試験をしておいた。
パソコンをつないでの試験もしておいた。あとは、明日の会場の設備がどうなっているか・・だけである。ま、念のためにスクリーンも用意はしておく。
今日の掲示板はこれ。「念仏しても食えんかもしれんが、念仏せんと食べたもんが無駄になるぞ」というもの。ある老母が息子に向かって言った言葉であるという。この前日に、息子は母に対し「念仏しても食えんじゃないか」と言い放った。母は息子のその言葉に一晩思い悩んだ末、この言葉を絞り出すように訴えたそうだ。・私たちはこの息子の気持ちを否定できない。念仏しても何の役に立つというのか。答えられる大人は少ないだろう。念仏がはたして飯のタネになるのか。実はその疑問こそ愚かなのだが、ついそう問いたくなるほど、念仏は一見、か弱く頼りないように感じる。・しかし老母の言葉に胸を打たれるのもまた事実ではないだろうか。「食べたもんが無駄になる」とは、つまり自らの人生が空しく過ぎてしまうことだ。誰しもが一度きりの人生を大切に充実して生きたいと思いつつも、日々の出来事にとらわれ、ふと「このままでいいのか」という漠然とした不安、不可解な思いにさいなまれるもの。「無駄になる」と言われれば、その重みにどきりとしてしまう。・念仏がわかる、わからない以前に、そもそも日頃の不安の元が何かもわからぬくせに、安心ばかりは自分に解りやすい、安易なものを求める姿勢に、現代人の苦悩の源があるように思う。念仏は理屈ではない。解ってから称えるつもりなら、理解する前に人生が終わってしまうことだろう。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。