さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は21.6度から30.0度、湿度は90%から61%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の14日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。
今日も蒸し暑い朝になった。朝からエアコンの除湿モードでのPC作業で一日が始まった。
寒川家の俵札調査の調査報告書を両面印刷で試作版を作っている。
一応、印刷も終わったので、気分転換のために、「彼岸花」を探しに山道を走ってみた。けれども、走っても走っても、彼岸花など一向に見えない。さぬき市の長尾から前山、多和方面から東かがわ市の五名、福栄方面を走ったけれど、少しも、あの、赤い花が見えない。
で、結局の薬局で、さぬき市の大川町に戻ってきて、かろうじて、この数本の彼岸花を見つけただけだった。
そこで、町内にある、「みろく自然公園」に行ってみた。ここには、さまざまな花や植物が植えてあるのだ。
これは、彼岸花に似てはいるが、上の彼岸花とは違うことに気がついただろうか。これは、「リコリス」という花である。しかしのかかし、ここでは、「ひがんばな」として植えてある。
「ここより、あっちがいいよ」と、大きなカメラを提げたおばさんが教えてくれて、ここに来たら、こりゃぁどうじゃ。あたり一面、リコリスだらけ・・・。
白いものもあるし、オレンジ、黄色・・・
ピンクのリコリスもある。これを見たら一目瞭然、花の付き方がまるで違う。
今日は、第二水曜日ということで、民児協の定例会。簡単に食事をすませ、さぬき市大川支所に向かった。
なんか、大きな袋や資料を盛り上げてあると思えば、「赤い羽根の共同募金」。それに、高齢者の調査とかなんたらかんたら・・・。
私たちも一律500円出すらしい・・・。それで、配られたものがこれ・・・。
さすが「うどん県」。いつもは普通のうどんらしかったが、今年は「かまたまうどん」のデザインされた「記念章」である。ありがたくもあり、ありがたくもなし。
今日の掲示板はこれ。「現在が続いて将来となる 現在を離れて将来はない」という清澤満之先生のお言葉から。清澤先生は文久3年、尾張藩に生まれた。東京帝国大学卒業後、明治21年、京都府尋常中学校の校長に赴任するが、辞任して禁欲自戒の生活に入った。明治25年、『宗教哲学骸骨』を刊行。宗門改革のために雑誌「教界時言」を発刊し一時僧籍を剥奪されるが、僧籍を回復し真宗大学初代学長に就任。明治 34年、雑誌「精神界」を発行。明治36年、愛知県で死去。享年41歳であった。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。