さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.9度から34.8度、湿度は74%から68%、風は1mから5mの東の風が一時は強かった。午後は雨や雷雨の所があるらしいのだが、さぬき市ではそんな気配はない。明日の15日は、湿った空気の影響で曇り、昼前から雨や雷雨の所がある見込みらしい。
昨夜は恒例の「盆礼」ということで、飲んで食べて歌って・・・の大騒ぎだった。
私らが子どもの頃は、まだカラオケだのというものはなかったので、もっぱら、おとなたちは酒を酌み交わし、農作業のことだとか、だれがどうしたとかの世間話に夢中になった。こどもらはお給仕で、「熱燗を持って来いや~」とか、「おつゆのおかわりやでぇ」とかとこきつかわれたものだった。まだ、ビールなんてなかった時代だ。
でも今は「生ビール」にカラオケでエアコン完備というのだから贅沢になったもんだ。
で、私たちの「お盆」って何なんだ・・・というので、少し、お勉強をしてみた。「お盆には法要時の荘厳をし、季節のものを供え、先祖に報恩感謝のまことをささげます。真宗では精霊棚を作ったり、迎え火・送り火を焚くことはしませんので、その必要はありません。お彼岸と同様お墓を清掃して、家族一同お参りして亡き人を偲びます。また近くのお寺へ参詣するよう 心掛けたいものです。お盆の期日は、七月十五日や八月十五日など各地の慣習によって違います。」(門徒教本183p)
「お盆」とは正しくは 「孟蘭盆」といいます。梵語のウランバナの音訳で、中国では 「救倒懸」と訳しております。「倒懸」とは 「さかさづり」の意で、餓鬼道の苦しみをあらわします。その「さかさづり」の苦しみから救うという意味が「救倒懸」で、これが「孟蘭盆」 の意味です。それには次のような故事があります。
お釈迦さま在世のころ、高足の弟子に日蓮という方がいました。目蓮はお釈迦さまの教えをよく守り、一心不乱に修行し、ついに尊者と崇められる聖者となりました。ある日、神通力をもって、亡くなられた母がどこへ生まれているかを見ますと、母の宿業により餓鬼道に堕ちて骨と皮とにやせ衰え、しかも食物を食べることのできない、いわゆる餓鬼の苦しみを受けているのでした。孝行者の目蓮はこれを悲しみ、母を救う方法をお釈迦さまに尋ねました。ちょうどそのころ、インドは雨期で、仏弟子たちは恒例の安居(一定期間外出しないで修行すること)に集まっておりました。その安居があける七月十五日は衆僧自咨の日として、仏弟子たちの休息をとる日になっていました。お釈迦さまは、その七月十五日に衆僧に供養すればどうかと目蓮に教えられたのです。目蓮はよろこんでその教えに従い、衆僧を供養して、その母は 「倒懸」の餓鬼道の苦悩から救われたといいます。
これは『孟蘭盆経』に説かれている話ですが、これから「孟蘭盆」が先祖をまつる行事として、毎年七月十五日に行われるようになったのです。私たち真宗門徒は、目蓮が母を救ったその心根に注目しなければなりません。その心根にならって、こうした年中行事には先祖を偲び、感謝の気持ちを新たにしたいものです。」と。
今朝、暗いうち(5時)から次男は帰り、三男はビールサーバーを解体して玄関まで運び出してから帰って行った。奥方も出勤だと言って7時過ぎには出かけてしまい、娘家族も8時前には帰ってしまった。私一人がお留守番。
孫たちが小さい間は、毎年、島の家で釣りだ、ウェイクボードだ、海水浴だと遊びほうけていたが、その子たちが大きくなり、社会人となって、島の家で仲間たちと遊びほうけているらしい。私は山の家でお留守番だ。
そうした遊びもマイボートが壊れてしまい、子どもたちも忙しくなり、親たちも学資稼ぎに忙しくなるとやまってしまった。
先にお話しした目蓮尊者の話。8月の雨季に入ると目連は国々の僧侶たちに施しをされ、そのお陰で母親が餓鬼道から救われたと言う話だった。のちにこの話を聞いた人たちは、これを逆さづり供養祭と呼び、雨季になると先祖を偲び、施しの料理をもてなすようになったそうで、この逆さ吊りの事をインドでは「ウランバンナ」と言った。そしてこの物語は中国へ渡り、「ウランバンナ」に漢字をあてて盂蘭盆(うらぼん)となった。それがさらに日本に伝えられて もともとの先祖崇拝と結びついて今のお盆参りになったそうな。お盆にはご先祖を偲び、心静かに手を合わせ 、今ここに生かされていることを感じてみたいもの。そして、喜ぶ心、相手を思いやる心、許す心を施しとしていただければとてもありがたい『盂蘭盆会(うらぼんえ)法要』になるかと想うのである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。