さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は23.8度から30.8度、湿度は92%から68%。風は2mから4mの西の風が少しばかり。明日の17日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夕方は雨の降る所がある見込みらしい。
昨夜の宴会は21時半過ぎにお開きとなったが、奥方は明日もお仕事だからと20時過ぎから寝てしまい、弟たちも22時前には寝てしまった。
残った私は、食器洗いから片付け、テーブルの整理、ゴミの片付け、お風呂の片付け、エアコンの停止・・・なんぞの後始末をやってから寝た。23時を過ぎていた。
寝てからふと気がついたのだが、お昼からはトイレに全く行っていない。あれだけ食べて飲んで大騒ぎしたのに、トイレには行っていないということは・・・。
夜中には頭痛がするし、おなかが張るし、トイレに起きても量はあんまり出ない。夜には酸素圧縮機から酸素吸入をやっているんだけれど、息苦しくて何度も起きてしまったし、朝の4時半には、もう、起きてしまった。おなかを圧迫されるようで苦しくて寝ていられない。
で、朝の6時半からは集落内にある「山の神神社」の秋の例祭のお掃除である。この集落には10軒の家があるが、歩行困難の方と佛忌のかかったおうちとの二軒がお休み。残りの8人でおそうじすることになる。
昔はここに拝殿があって、宵宮から集まっておこもりをしていたというが、今は礎石が残るばかりで再建されたこともないという。
この頃の私は、おなかが張って歩けないし、動けない。このしめ縄を張って、紙垂(しで)を飾るのがやっとのこと。男性陣は倒れた松の木や竹の枝を切ったり片付けたりするのだが、私はまるで動けない。
どうにかこうにか、おそうじができて、しめ縄が掛けられた。で、みんなで「二礼二拍手一礼」して、おしまい。昨年までは会堂に集まって、座談会のようなことをしていたが、今年からはやまってしまった。もう、山でたきぎや柴などを集めることもなくなったし、山仕事をするような人もいなくなって、信仰心も薄れてしまったような気がする。
7時半過ぎに我が家に帰ってみると、奥方は出勤、弟たちは用事があるからと帰ってしまい、娘家族も帰ってしまった後だった。祭りの後はこんなものだ。私も気分が優れないもので、例の経本の折り本とか、表紙付けなんぞの作業をしながら気分転換。
で、今日も五部の経本を折りあげて製本した。都合、10冊にもなった。
薬を飲んでも、胃腸薬を飲んでも、漢方薬を飲んでも、トイレにしげく通っても、体調は少しも好転しない。昨日だって、そんなに多くを飲んだわけでなし、そんなに多くを食べた訳でもない。ただ、働き過ぎたかな・・という気はするのだけれど。
今日の掲示板はこれ。「みようみまねで合わす手に やどるすなおな菩提心」というもの。仏さまの眼から見れば無心に遊ぶ子供たちの姿の中にも、菩提心はあるということなのだろう。そういえば、幼い子供は、みよう見真似で小さな手を合わせている。それにどんな意味があるのか、なぜそうなるのか知らないままに合わせる両の手。それでいながら、そこには不思議なほど仏さまの世界との一体感が感じられる。言い方を変えてみれば、大人より子供たちの合掌の姿の方がずっと絵になるのである。子供は純粋無垢という点で私たちより仏さまの世界に近いのかも知れない。だから素直な心そのものが菩提心だと受け止めてみてもいいのかもしれない。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。