さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降っている。雷の音はまだ聞いていない。気温は18.5度から20.9度、湿度は96%から92%、風は2mから4mの北東の風が少しばかり。明日の30日は、台風第24号が近づくため、雨となり雷を伴って非常に激しく降る見込みらしい。
昨夜は安定剤を飲んで寝たために、今朝は6時半まで寝てしまっていた。それでもまだまだ眠たいので昼寝をしたが、それでもまだ眠たい。
これは、四国電力さんの広報紙「ライトライフ」である。四国電力の事業活動をお知らせするとともに、四国の歴史や文化、伝統産業、地域の取り組みなどをご紹介しているものである。
で、昨日送られてきた10月号の特集記事が、「俳人山頭火を愛する人たち」というもの。実は県立病院入院中の私に、おへんろつかさの会長から、「取材が入っているので対応するように・・」という連絡が入った。日浦ドクターに相談すると「よろしいですよ」と簡単にOKが出た。担当看護師の「ショーボブやち姐」さんにも相談したら、「外出だけならいいわよ」と言ってくれた。外出許可をもらって取材に応じたことがあった。4月の23日のことだった。
前山のおへんろ交流サロンに着いたのは11時過ぎだったが、館長の六車さんや受付の秋友女史と雑談。一行は11時半過ぎにやってきた。女性3名に男性一名の四名という陣容。男性は運転手兼カメラマン。インタビューは女性のお姉さんが二人。あと一人は見習いみたいだった。
なぜ、ここに山頭火なのか・・ということから始まって、地元の俳人・砂井斗志男さんのお話から始まって、長尾町種田山頭火顕彰碑などのお話などに続いて・・・私のお話があって、句碑の管理や保護活動までに話は及んだが、そこまではフォローできない。こういう活動もやったらやりっぱなしになるのは仕方がない。高齢化と資金不足。指導者がいなくなると熱意も継続はしない。
私は、「上がり三か寺」の観光ガイドとして、山頭火の句碑やその周辺の歌碑などをお話するのが目的で、なぜ、句碑を建てるに至ったのかや、それを建ててどうしようと思ったのについては興味がない。また、75基にも及ぶ山頭火の句碑の面倒なんて見られるわけがない。それらのガイドをやってほしいと言われたらやることにやぶさかではないけれど。
取材は12時前から始まって13時時過ぎまで続いただろうか。取材を終えて、病院にもどった。
まぁ、いろいろとお話をしたのだけれど、結局はこの程度に収まってしまった。
その後は、先日に頂いた「記録集」をスキャナーで読み込んでおいた。
私がお話しているところも入っている。
英国士官レキの「正体」である。しかし、この文章も英国人のトーマスさんの書いたもの。私の文章は論文集の中に掲載されたまんまである。その論文集は、当日参加されたみなさんにお渡ししている。
こういう新聞記事もまとめられている。私的に何冊か増刷しておきたいからである。
今日の掲示板はこれ。「葦と書いてもヨシと読む 勝手に決めるな人の善し悪し」というもの。葦(よし)は、葦(あし)のアシと読む音が「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善し」に因んでヨシというようになったそうで、「悪し」の気持をもって葦の髄をのぞくともっと良くない結果になるのかも。ただ、ものごとの「音」や「ひびき」などで、勝手に、「あし」だの「よし」だのと変えられてはたまらない。人の善し悪しも気分次第で言い換えられたのではたまったものではない。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。