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Channel: まほろば自然博物館
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ピラカンサ 愛しき人を 待つように

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.7度から21.7度、湿度84%から57%、風は0mから2mの西の風が少しばかり。明日の22日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 今日は天気もいいし、湿度も60%台なのに、身体が重くて歩けない。何がどうしてこうなるんだろうか。

 

 さて、今日は観光ガイド「志度寺班」による秋のルンルン♪で、志度寺に伝わる玉取伝説の地を歩くというイベントの日。来月の上旬に、私たちのルンルン♪大窪寺編があるので、事務処理の方法やガイドの様子なんぞを勉強するために随行した。

 

 まずは後方の建物、「働く婦人の家」で受付をして、一般的なお話があった。ここで、ゲストさんと一般会員の集金方法や人数の把握なんぞを聞いてメモした。で、13時半過ぎに出発して海岸線に沿って東に歩いて進む。ゲストさんは10名、会員さんが十数名ほど。ガイドが5人。

 

 天候が良くて、海岸線は磯の香りが心地よい。私は車で先回りして、ポイントごとに取材する。実は、この左手の建物が公衆トイレ。ここで、トイレ休憩をしていたため。

 

 一行は埋め立て地の工場群の中を歩いてくる。

 

 昭和のころの写真らしい。正面が真珠島で、この入り江を埋め立てて工場地帯が作られたもの。大正の初め南部が陸続きとなり、戦前には海水浴場として賑わった。戦後東側に養魚場が造られ、昭和四十九年の志度湾埋立工事で完全に陸化した。西側には少しの渚を残し、昔の面影をとどめている。

 

 この真珠島に海女の遺体が打ち上げられて、ここで供養したという伝説が残るところである。真珠島は香川県さぬき市志度にある小さな島で、志度寺縁起海女の玉取り物語のヒロイン海女が、唐から送られた面光不背の玉を竜神から奪い返したという伝説と歴史の島である。元和三年(1617)国主「生駒正俊」は『真珠島は、弁財天・吉祥天を安置しあり、もっとも崇敬仕るべき事』と記した定め書を下し、また江戸時代には藩主自ら幕府の巡検使をこの島に案内した。

 

 海女の玉取りの伝説は、「日本書記」の巻十二允恭天皇十四年の条に、天皇が淡路島で狩をされたとき、不漁だったので占わせたところ、赤石(明石)の海底にある真珠を取って、島の神に捧げればようというので、阿波の国の海士男峡磯に命じて海底に潜らせ、取った玉を神に奉ったところ多くの獲物を得たという伝説に影響されこの伝説が生まれたといわれ、執筆者は相良武任入道完徹である。

 

 山頂には、こんな弁天さんがおまつりしてある。藤原鎌足の女百光が、唐の高宗皇帝の妃となり、奈良の興福寺に奉納のため、3個の宝を送った。そのうち面向不背の玉が讃岐志度の沖で竜神のために奪われたので、淡海公藤原不比等は都から志度にきて、海女に命じて海中を探らせたが見当たらない。その後、純情の海女と恋仲になり一子が生まれた。それが藤原北家の房前だという。不比等から面向不背の玉を竜神に奪われたので、都から来たものだと事情を明らかにされた。海女は子供の出世のためならと命綱を腰に巻き、海底に潜っていきました。見事に宝珠は取り戻しましたが、龍神に覚られた海女は自分の乳房をさいて、龍神の嫌う血を流し、宝珠を乳房の中にかくして死体となって引き上げられた。

 

 島を取り巻くように、「真珠島西国三十三観音」が安置してある。この三十三観音は明治のころ通称志度寺山(現徳島文理大)付近に安置され、里人たちの信仰の対象となっていた。昭和四十六年、志度湾埋立事業でこの山が採土地となったため、石仏もしばらくは散逸していた。このたび滅失していた七体を善意の人たちの寄付で復元、これを機会に真珠島周辺に移し、巡拝道を造り、多くの人が参詣しやすようにしたものである。昭和五十九年十月 さぬき市観光協会 現地案内板より転載した。

 

 藤原不比等は、海女の真情に心を打たれ、海辺に墓をたて堂宇を建立して「死度寺」とした。藤原不比等は心を残しながらも、宝珠と共に房前を伴い、奈良の都へ帰って行った。それから13年後、持統7年藤原北家の祖となった房前は、僧行基を伴って志度浦を訪れ、母供養のため千基の石塔を建立したという。今も、その千基の石塔の一部といわれる石塔20基が残っている。

 

 その後、書院で縁起絵巻の絵解きを聞いた。

 

 このお寺の境内には「無染庭」と呼ばれる重森三玲作の庭園が造られている。この庭園は、この地に伝わる「海女の玉取り」をモチーフに造られたと言われる枯山水の石庭で、伝説にちなんで、7つの石が配されているが、どこから見ても5個か6個にしか見えないというトリック・アートでもある。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。今年も有名人が沢山亡くなった。人は必ず死ぬ。一世を風靡し、世の中を謳歌した人も、必ず死ぬ。私も死ぬ。そして、あなたもいつか必ず死ぬ。そして、誰も思い出してくれなくなる。いつの間にか、日常からその人が消えている。いつか必ず死にそして忘れられて行くのだから、生きている内は自分が満足するように生きるべきだ。本当にしたいことはなんなんだ、心に蓋をしてきた本音はなんなんだ。自分を解放していい。自分の人生をあなたのままで生きてほしい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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