さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で曇る時もあった。気温は3.5度から6.5度、湿度は74%から56%、風は2mから3mの北北西の風が冷たかった。明日の11日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、明け方から朝にかけて雨や雪が降る見込みらしい。
122/72-62 36.2c-97% 61.2Kg 1025hPa,6c,52% 体調に変化はない。
九時過ぎに空が明るくなってきたので、またぞろ道標探しの続きをやってみた。なにせ、先生たちはデータばかりを羅列して、その場所や位置を見せてくれないのだ。だから、データーを元にして歩き回って探すしかないのだ。
これだって、旧のへんろ道沿いにひっそりとあるし、その場所すら教えてはくれていない。昔のへんろ道を歩いてみて、はじめてそれだとわかるもの。まるで宝探しみたいなものだ。
これは「犬の墓」であるが、名前も日付もどこにもない。
昔は、この川沿いに歩いたものらしかった。
これだって、お不動さんかなぁと思って通り過ぎてばかりいたのだが、「先生墓」というものらしい。紀州だかのお遍路さんが住み着いて、目のお医者さんをやっていて亡くなった。地元の人が、お墓を建ててあげておれば、やがて紀州の人が気がついてくれるだろうに・・ということで立てたものらしい。お堂は近世のものである。
ここも、いつもいつも通っていながら、全く気がつかなかったもの。お堂の中のお地蔵さんの台石に、「弘法大師護摩御修行之霊場也」と刻んである。その横の石碑、
これだが、「奉修光明真言二百万遍供養塔」と刻んであるが、大正七年九月だから、先生たちは歴史の範囲外だと説明も案内もなかった。で、これを建てたのが、奥山村(現多和地区)婦人會一同であるらしい。ご婦人方の信仰心が厚かったらしい。
でも、今日は外気温が低いらしく、心臓にズキズキとしみ込んでくる。こんなところで心臓が止まったらおしまいやな・・・と、早々に引き上げてきて資料整理をやっておく。
大窪寺の場合、長尾寺からのおへんろさん用に、昔の「額村(がくむら)」の峠、相草峠を70丁と起点にして、一丁ごとに数を減らしていく。阿波からのお遍路さんも同様に国境から38、37と数を減らして設置されていた。
今日、見てきたものをメモ程度に写真と場所と名称なんぞを記録しておく。備忘録程度に。もう、遍路道フォルダーにはたくさんの画像が入っていて、しばらくすると、何が何やらわからなくなってしまうからだ。
やはり、今頃の太陽は写真にすると真っ白だったり真っ黒だったりして使えない。暖かくならなければ本物の画像にはなりにくいと思う。
今日の掲示板はこれ。「とりあえずやってみて、失敗から学ぶべきだ。私はこのやり方が好きだ。何しろ毎日、新しいことを学べるのだから。」というリチャード・ブランソンの言葉から。失敗を全くしないで先に進むことはできない。目的は前に進んで目標を達成することなのだから、失敗やそこからの学びを一つの過程としてとらえよう。常に挑戦して、前進していくことを考えよう。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。