さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は24度から30度、湿度は85%から68%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の17日の香川県は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
116/78/84 36.4c-96% 64.8Kg 1006hPa,28c,66% 体調に変化はないが、両足を何かの虫が噛んだようで痛がゆい。薬を塗ってもらったが、しばらくすると、またすぐにかゆくなる。虫に何カ所も刺された感触はない。
まさか、ダニがわいたのかも知れないとお布団を干してみた。普通の虫刺されだと、そんなにしつこくはない。
部屋も掃除機を掛けてさっぱりとした。最初は神経痛のような痛みが走ったのだけれど、そういう痛みではない。しつこい痒さなのだ。
で、一応、目の前のお仕事が片付いたので、例の「おへんろはなぜ白い服を着るのか」という問題である。で、いろんな本を読んだり調べたのだが、よくわからない。そこで、時代年表を作ってみた。
伊予鉄バスツアーが開始された昭和28年までは、誰も白衣を着ていなかったのに、昭和30年頃からは白衣姿が見え始め、昭和33年には全員が白装束になった。ここまではOKだ。でも、一般の方は昭和60年代までは白衣なんぞは着ていなかった。
昭和62年にはJRが民営化し、63年には瀬戸大橋が開通した。時期を合わせて、「旅の手帳」という雑誌が「遍路の旅」特集を組み、平成2年には、「タクシー遍路」が始まった。
タクシー会社も、そのお遍路さんと一般のお遍路さんとの区別化を図るために、制服として笈摺や白衣を着せた。こうしたブームに乗って、マイカー遍路も白衣を着るようになった。
さらに平成10年(1998)にはヘリコプター遍路まで出現し、NHK-TVも遍路特集を組むようになり、平成12年(2000)ごろから各種雑誌や旅行雑誌が遍路特集を相次いで発表し、「あなたも白衣を着れば遍路になれる」と大々的にPRした。
そして、平成26年(2014)には、四国霊場開創1200年ということで、遍路ブームは最高潮に達したし、遍路の白衣姿はすっかりと定着した。
さて、富山県から、氷見うどんの太麺が届いた。奥方からは、おつゆなんかいらないので、麺をもっと増やして欲しかった・・と叱られた。
で、今日のお昼は、氷見うどんになった。
しかしのかかし、火力が弱かったのか、25分も中火で湯がいたのに、なんだか硬い感じがした。
次回は、もっと長くゆがいてみようか。
今日の掲示板はこれ。「みようみまねで合わす手に やどるすなおな菩提心」というもの。仏さまの眼から見れば無心に遊ぶ子供たちの姿の中にも、菩提心はあるということなのだろう。そういえば、幼い子供は、みよう見真似で小さな手を合わせている。それにどんな意味があるのか、なぜそうなるのか知らないままに合わせる両の手。それでいながら、そこには不思議なほど仏さまの世界との一体感が感じられる。言い方を変えてみれば、大人より子供たちの合掌の姿の方がずっと絵になるのである。子供は純粋無垢という点で私たちより仏さまの世界に近いのかも知れない。だから素直な心そのものが菩提心だと受け止めてみてもいいのかもしれない。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。