さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温はぐっと下がって20度から26度、湿度も78%から52%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の20日の香川県は、前線や湿った空気の影響で昼前から曇り、夜遅くは雨が降る見込みらしい。
120/80/60 36.4c-97% 63.6Kg 1013hPa,22c,43% 体調は打って変わって別人になったよう。呼吸は楽になったし、おなかの張りもないし、身体も軽い。やはり、秋の天候のせいだろうか。
この前から気になっていたのだが、芝生広場から勝手口に向かう通り道がこのような「おかめ蔓」に占領されてしまっている。新築時に奥方が趣味で植えたものがぐんぐんと成長してとんでもないことになってきた。
そこで体調もいいことだし、朝の運動だとばかりに電動草刈り機を持ち出してきて10分ばかり動かしてみた。
で、ようやくに人が通れるだけにはなってきた。明日になれば草も枯れて、通りやすくなるはずだ。明日の朝も、このくらいほど刈り払ってみる予定。
朝ドラが終わったら、担当地区内のパトロール。昨日、デイサービスに出かけていたお二人を訪問し、残る二軒を尋ねたが不在だった。
その途中で鹿に遭遇した。最近、猿やイノシシを見かける事は少なくなったが、今度は鹿らしい。この地区あたりでも多くの目撃情報がある。夫婦でいたとか、子連れだったとか、立派な角のある大鹿だったとか、かわいいバンビだったとか・・・。話を聞いていると、相当数の鹿がいるらしい。
訪問相手が不在ではどうしようもない。あと二軒なのだが、なかなかにつかまらない。「いないのですか」とご近所で尋ねると、「いや、毎日居られるよ」というのだが、どこもかしこも鍵が掛かっていて応答がない。
仕方が無いので、「白衣史研究」の材料集め・資料集めである。
集まって来るのは「おいずる」ばかり。しかしのかかし、笈摺ばかりを集めても意味が無い。要は、なんで「白装束」になったのか・・・なのだ。この笈摺から白衣になったという説もあり得るし、山岳修行の行者さんの衣装が白だったという説もあり得る。
この四国遍路は誰が定めたのかの定説はないし、誰が広めたのかも定説がない。誰が八十八ヶ所に定めたのかという定説もない。お参りのお作法、読経の方法の定説もないし、白衣でなければならないと定められたこともない。1200年以上も続いているのに定説がない。年間10万人ものお参りがあるというのに定説がないというのは風変わりな風習だ。
今日のお昼は、地元「ふじ麺」さんの生麺をゆがいての、「生玉おろしぶっかけ小の冷や」である。大根おろしと天カス・ネギがトッピング。お出汁は奥方特製の「ぶっかけ用出汁」である。なめらかでコシのある讃岐うどんであった。
このエッジの立ったおうどんはたまらない。
今日の掲示板はこれ。「人はみな 生まれて生きて死ぬ 何急ぐ なぜ急ぐ 死を問わず」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあった言葉である。人はみな、生まれて、生きて、老いて、病を得て死んでゆく。人は、なぜに生まれたかを知ろうともせず、いかに生きるべきかを問いつつも、なぜに生きているかを問われ、作り上げられた理想は崩れ去る。生きているのは偶然、死んでゆくのは必然。されど人は思う。生は必然、死は偶然と。昨日死んでいても不思議でない私が、今生きていることの不思議さ。人は必然する死を忘れて今を生きる。けれど、死は一刻たりとも私を忘れてはくれない。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。