高松市東部は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.5度から11.0度、湿度は74%から42%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の3日の高松市は、気圧の谷や湿った空気の影響で、概ね曇る見込みらしい。
87/41/80 36.6c-100% 64.8Kg 体調に変化はない。体重も横ばいである。
今朝は春霞のような穏やかな朝を迎えたが、少しばかり眠たい感じ。いや、夜中は10時過ぎから1時間と、2時過ぎから1時間ほどは起きていたが、そのあとは9時から5時まではぐっすりと寝たはず。
今日のお絵かきはなぁんだ。なんとも思いつかなくてただの落書きだけれど。
「毛が三本」というのはわかるだろうか。
で・・・である。昨日は「住宅顕信」の話だったが、それを私風にアレンジしてみた。決してパロディーではない。
「木村暁光、本名・木村秀雄(きむら ひでお)。1948年6月香川県さぬき市(旧香川県大川郡大川町)に生まれた。さぬき市立大川第一中学校卒業。1964年4月、さぬき市内の香川県立津田高等学校に入学。1967年4月に日本電信電公社神戸都市管理部に就職し、昼は勤務し夜は飲み会という生活に入る。アマチュア無線仲間を通じて1歳年上の岩野啓子と知り合い、結婚を決めた。弱冠22歳のことであった。小学校の頃より詩、俳句・短歌・作文・物語・小説に親しんだ。中学・高校と文芸部に所属、編集・印刷・製本などの下積みを経験し、会社員時代には原稿集めから取材・校正・編集作業から印刷・製本まで手掛けるようになった。
1991年三月、祖母フジエの逝去に接し、仏教に傾倒し、1995年9月より中央仏教学院の通信教育を受講。翌1996年4月教育課程修了。1999年9月、西本願寺脇・真宗興正寺にて通信教育制度「華園学院」入学。翌2000年秋、得度・度牒授与。真宗興正派の僧侶となり、法名の釋暁光を授かる。1995年10月より自宅の島の家の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「仏説阿弥陀経」に因み、「暁光庵」と名付けた。
木村暁光の人生も俳句もまた、ここから「自然法爾(じねんほうに)仏教用語。もとより,おのずから,しからしむるということ。 特に,親鸞聖人によって重視された言葉で,自己のはからいを打ち捨てて,阿弥陀如来の誓いにすべてを生ききること」がスタートした。南無阿弥陀仏に出会った人生。彼の人生は「むなしくある筈がなかった」と言えたのだろうか・・・。中学生時代に手作り俳句集「窓辺から」を創刊し、独学で俳句を学び、近年では「俳句日和だ・はいくる・じぃじぃⅦ」を自費出版している。
近年は在郷の俳人「砂井斗志男」の影響で自由律俳句に注目し、句作に励むようになる。特に種田山頭火や尾崎放哉に興味を持っているが、「心酔した」とまでは言えない。2018年三月、心臓弁膜症や急性心不全などの病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。2020年6月20日23時23分、還浄。享年72。俳人としての創作期間は60年と長かったが、生涯に残した俳句はそう、多くはない。
如月は人の数だけ鬼がいる / 蝋梅に明日の夢を破られる / 野も山もはや正月が暮れかかる / 悔いもあり迷いもあってやぶ椿 / 藪椿花は花なり実は実なり / 冬らしい風も浴びずに阿弥陀堂 / 霧見てはあてなき道に踏み入れる / 蝋梅が迷う明日を指し示す / 廃屋のビル錆び切って冬の色 / 蝋梅に朝のしずくや車椅子 / 何時までも降ろせぬ鞄春の風 / 梅日和少しとぼけたお茶の味 / 春の空見えぬ諸仏を載せて行く / 山は雪出かける予定はないままに / 春となり病院脇を過ぎる鳥 /
お昼からは今日の担当「だっこちゃん・美子」のサポートで、院内デートをやってきた。今日は車いすでの院内散歩で、裏口の「救命救急センター」入り口に出て、救急車街道を逆周りにまわって、表玄関から、この病室まで戻ってきた。
この建物の向こう側から出て、右回りに回って、この正面の表玄関から戻ってきたという訳である。
今日の掲示板はこれ。「人は迷って鬼となり 悟って仏となる」というもの。「心は人を畜生にする。迷って鬼となり、悟って仏となるのもみなこの心の仕業である。だからよく心を正して道に外れないよう勤めるが良い」般泥洹経という教典にあるらしいが、詳しいことはわからない。ま、要するに、鬼になるのも仏になるのも、この私のこころ次第であるというているのである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。