丸亀市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は25度から27.5度、湿度は92%から64%、風は3mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市は、引き続き、前線や湿った空気の影響で断続的に雨が降り、雷を伴う所があるらしい。
108/66/80 36.0c-92% 60.8Kg 二日続けて22時過ぎの就寝になったもので、無性に眠たい。
昨夜の夕食はミニバーベキュー。娘の新兵器の試運転らしい。どうにも夕方の屋外は蒸し暑いし、虫が来るもので落ち着かないし、お肉は苦手なものだから余計に食事も楽しくない。早々に室内に逃げ込んだ。
弟と娘は室内での二次会になっている。その向こうでは孫のなぎちゃんがカラオケをやっている。私は黙って聞いているばかり・・・。
やがてのことに弟はマイクを独り占めになった。
今朝は、刈ったばかりの草をかき集めてくれた。奥方は食事の準備だし、娘は布団やタオルケットなんぞの整理や片付けと忙しい。
私は玄関周りの草を集めて燃やして片付けをしておく。それに、不要になった釣り道具を片付けたり整理をしておく。
これが島の家「暁光庵」の扁額である。文字は奥方の父親・元昭さんで、彫刻は千葉の高橋敏勝師匠の作である。
今回の島の家の件は、娘が8月上旬に仲間を招待するので、その事前準備の大掃除やら草刈りが目的である。若い娘さんを招くので、汚い布団や汚れた食器はあかんでしょ・・ということでの大掃除になったもの。で、作業の終わった12時50分のフェリーで撤収ということになった。
この島の家ができた当時は物珍しくて、休みがあるごとに島で魚釣りをしたり、クルージングをしたりと楽しんだものだった。でも、魚が海からいなくなり、マイボートは壊れて航行不能になってしまったし、島での楽しみもなくなってしまった。今は来客があるごとに草刈りをしたり掃除をする程度になった。
春や秋のお祭りも次第に高齢化と過疎化でさみしくなり、島を巡るお大師まいりも今年は中止になったし、島に帰る名目も減ってしまった。それに加えて私の病気のことも重なってしまったし・・・。
今度は柿の実が実るころに、また、草刈りやら庭木の剪定やらに帰る予定。島の家で楽しむと言うことはなくなってしまった。
今日の掲示板はこれ。「くらやみの中で 宝があっても つまずくだけだ」というもの。前川五郎松という人の、阿呆堕落偈(あほだらけ)から。闇と光について、いつかこんな言葉をお師匠様から聞いたことがある。「暗闇の中で宝があっても、つまづくだけやぞ。燈明(あかり)をつけてもらうだけや、何にも変らぬが、見える見える、見えると安心や」。と。暗闇の中では、宝物もご馳走も有り難い仏様も見えぬ。仏法を知らぬ者には経典も仏像も何も見えぬ。光という智恵を頂いてこそ、宝物やご馳走が見えるというものである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。