さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は27.5度から36.6度、湿度は88%から56%、風は1mから4mの西南西の風が一時は強かった。明日の15日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる予想である。
93/38/80 36.4c-94% 62.4Kg 29.2c-68%-1012hPa 一昨日から身体が重くて足も重くて歩けなくなった。またもや泌尿器科のお世話になるのか・・と考えていた。
朝食を食べた後、薬を飲もうとしてハッとした。12日、13日分の薬が残っているのだ。つまりは昨日、おとといと朝の薬を飲まなかったのだ。確かに12日は朝食を食べずにお墓へ行ったし、昨日も奥方と朝食抜きでお墓の掃除に行ったことを思い出した。あわてて朝食の薬を飲んだ。で、玄関周りの掃除や、
芝生広場の掃除をしておいた。屋外の作業は8時過ぎまで。今日は特別に暑い日になった。
あとは室内でお布団を干したり、
二階部分の掃除をやっておいた。もう、この部屋はエアコンの冷房が入っている。
一階部分は奥方の担当。先日までごちゃごちゃとしていたリビングも、このようにすっきりとしてお客様をお迎えすることができるようになった。この頃になると、トイレの回数も量も多かったが、体重が62.4Kgから60.2Kgまでに落ちて身体が楽になり、呼吸もすっかりと楽になった。やはり、薬の飲み忘れは致命傷的かなぁと思ったことだった。
お仕事がほぼおしまいになると、今度は自由研究の続きで、一月分から二月分の過去ログを整理していた。二月の18日でブログは一旦中断する。病室で誰かが私の留守中に水をこぼしてパソコンを起動不能にしたのである。予備のノートPCを持ってきてもらったが、これまた起動不能でブログの更新はできなくなった。
その間にカンファレンスが行われて治療不能、治療中止になってしまい、治らないのならばと退院を決意して強制退院をしてしまったのだ。それが2月の25日のことだった。その時にいただいた看護師からのお別れの言葉である。「もう、あなたに施すすべはありません。あなたらしい人生をおたのしみください」というドクターの言葉が耳に残っている。
「もう、あなたがこの病院に来られても、私どもはお受けできません」という教授の声も冷酷に聞こえて耳の底に刻まれている。でも、この看護師さんは、明るく、私を送り出してくれたのである。もう、ふたたび、逢うことはないだろう人になってしまった。
今日のお昼である。奥方作のなんだかさみしいおそうめんである。もう、この頃になると体重は60Kgを切って、59Kg台までに下がってきた。なんという薬の効き目だろうか。でも、「体重がオーバーするから」と、おそうめんだけを食べて済ませた。
どなたが、奥方作のマスクをつけての自撮り写真をアップして欲しいと言うていたので、散髪をした記念にアップしておく。前回は6月12日に散髪をしたから二ヶ月ぶりの散髪になった。
お昼からは、闘病日記を印刷していたら印刷途中で停止した。なんだろうと調べてみたら、トナー切れだった。いつもならエラーメッセージやら警告が出るはずなのに何もなくての中断だった。そこでトナーを交換して印刷再開。200ページほどが用紙の無駄になってしまった。
お仏壇の準備もできた。明日のお客さんをお迎えするだけである。奥方は明日の料理の仕込みやら準備やらに余念がないだろうと下に行ってみると、エアコンをかけながらお昼寝の真っ最中・・・。たくましい奥方ではある。
今日の掲示板はこれ。「どっちみち百年も経てば誰もいない。私も貴方もあの人も。」というもの。江國 香織さんの『すみれの花の砂糖づけ』に収録されている「無題」という言葉集から。江國 香織(えくに かおり、1964年3月21日 - )は、日本の小説家、児童文学作家、翻訳家で詩人。1987年の『草之丞の話』で童話作家として出発、『きらきらひかる』『落下する夕方』『神様のボート』などの小説作品で人気を得る。2004年、『号泣する準備はできていた』で直木賞受賞。詩作のほか、海外の絵本の翻訳も多数。父はエッセイストの江國滋。そうなんだ、悩んでも苦しんでも悲しんでも、どっちみち百年も経てば誰もいないのだ。そんなにたいしたできごとではないではないか。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。