さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、前線や湿った空気の影響で昼過ぎから曇り、夜遅くは雨の降る所があるらしい。気温は21.0度から27.8度、湿度は86%から66%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、前線や台風第12号の影響で、断続的に雨が降る見込みらしい。
105/53/79 36.2c-98% 60.6Kg 22.4c-58%-1014hPa 依然として体調に変化はない。尿道開削からほぼ180日、6ヶ月が過ぎた。あれからおなかの張りは全くないし、体重の変化もほとんどない。63Kgを超えたこともない。これで普通に戻ったということになるのだろうか。
ただ、心臓病が治った訳ではないし、心臓を交換したわけでもないので、「健康になった」ということにはならないし、骨折した足はそのままで正座もあぐらをかくこともできないでいる。でも、足にむくみはなくなった。
全くドジなことで、新訂改版したというのに、しようもないミスがあちこちに見つかった。でも、印刷・製本は終わったので、今更どうしようもない。不完全だが配送するしかない。
こういう差出人もプリンターで印刷できるのだが、なかなかに実行できないで居る。ま、たかだか二部か三部だから、わざわざ印刷するほどのものでもないのも事実。手書きしたってたかが知れている。
奥方は相変わらずの畑仕事だ。誰に教わった訳でもないのに、50年もすればなんとかなるものらしい。今はフツーの田舎のおばあさんだ。
今日のお昼は焼きめしらしい。私が催促するものだから慌てて作ったものらしい。私は力仕事もしないのに、おなかが空くのはみんなと同じ。ま、それも元気な証拠だと思っていればいい。
今日で四連休も終わるので、明日のお仕事を用意しておく。銀行や郵便局も明日には開店する。どうにも、この四日間は永かった。例の闘病記の発送もそうだし、20日の日に集金した自治会費や郷社の祭典費の入金や振り込みも片付けておかねば。
地神さんのお賽銭も貯金しておかねばならないし、赤い羽根共同募金や歳末たすけあいのお金を引き出して、社協に持って行って納めるお仕事も溜っている。ひとさまのお金を預かっての四連休は永かった。
四国には「へんど」ということばがある。今は差別用語的に使うことは憚られるようになったが、「今日四国地方で四国巡拝者をさすもう一つの呼び名、〈ヘンド(辺土)〉とも相通じると思われる。「食物や生活に必要な金品を他人に乞うて暮しをたてている者の総称。」と言われるようになった。もともとは仏教僧の托鉢(たくはつ)を意味する乞食(こつじき)からきているように、その多くは本来の意味からの転用であるが、募金や集金に行くことを、このあたりでは「へんどに行く」という。いよいよ来週からは10月。赤い羽根共同募金で企業さんや商店、寺社仏閣なんぞに募金に行くことになる。それが気が重い。
よく、SNSなんぞで、ピンクの彼岸花が咲いていた・・・という記事があったりするが、これは「夏水仙」というもの。夏の終わりごろに花を開く。
この黄色い彼岸花もよく話題になるが、これは「鍾馗水仙」というもの。彼岸花によく似ているが微妙に花の形が違うのだ。
これは「たぬきのかみそり」というお花。少しお花の形が違うのだ。
これは「リコリス・アリビフローラ」というお花。日本名は「白い彼岸花」ではなくして、「シロバナマンジュシャゲ」というらしい。
今日の掲示板はこれ。「境遇や環境を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」という、渡辺和子さんの著書、「置かれた場所で咲きなさい」の中からのことばである。「こんなはずじゃなかった」と思ったこと。あなたは、今日まで生きてきて何回あっただろうか。受験に失敗し不本意な進学をしたこと。目標を持ち、仕事をしていても会社に馴染めない自分。結婚し幸せになれると思ったが、理想とは違う現実。人生は嬉しいことも嫌なこともある。山あり谷ありだ。しかし、人は闇の中で、もがき苦しんでいるとき、自分も周りも見えなくなる。辛く悲しい気持ちは、脳を、身体をすべてを麻痺させる。今回紹介する本は、渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」というエッセイ集。著者はシスターであり、岡山市にあるノートルダム清心学園の理事長だった。聖書の教えなどを交え、生き方や人生の在り方を説いたこの本は、悩める人々の心の支えになった。160万部のベストセラーである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。