さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、概ね曇っていたが、晴れ間も時折は顔を出した。気温は3度から6.6度、湿度は72%から52%、風は2mから7mの西の風が一時は強かった。明日の2日のさぬき市地方は、引き続き冬型の気圧配置のため概ね曇り、明け方は雪や雨の降る所がある見込み。
血圧117/63、脈拍80、体温36.3度、酸素濃度97%、体重62.8Kg、室温22.1度、湿度35%、気圧1023hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。
今日は奥方が早出だというので、6時前から出勤準備をしているのだが、ドアを開けたり閉めたり開けたり閉めたり。そのたびにドアチャイムがうるさく鳴る。やがてには、「車のキーがないの。遅れるわ、送ってよ」という。
パジャマ姿のままで介護施設まで送っていった。時間的には片道20分。それで夕方にはお迎えに行かないといけない。おかげで寝不足なのか、頭がぼんやりとしている。
それはそれとして、新年のご挨拶代わりの年賀状。相も変わらずの、こんな感じ。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。m(__)m
そうそう、和尚が2・・・で、おしょうがつ。元日からさぶぅぅいおやじギャグのスタートになる。
そんなことで、今日は一人でお留守番。時期的に初詣見学も中止。今、はやりのステイホーム・・・というても毎日なんだけれど。
お昼前に年賀状が届いたが、いんぐりもんぐりで、出さない人からの賀状が届いたり、出した人から来なかったりで、それの整理とかを寒々とやっていた。で、思わぬ方から賀状が届いたりするものだから、そのお返事とかも印刷したり。
そういう時に限ってまた、インク切れだったり、用紙が詰まったり、プリンターエラーが続発したり。どうにかこうにか、十数枚の年賀状を郵便局のポストに入れてきた。
室内の片づけはできているのだが、外は落ち葉が降り注いできて、また、元の通りだが、寒くて風があって掃除どころではない。なるようになるさと諦めモード。
今日の掲示板はこれ。一休さん(一休宗純)の歌。「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」はこれで正しいか。 この歌は骸骨の付いた杖をつきながら詠んだものらしい。一休の道歌-蜷川親当との道歌問答-に「門松は冥途の旅の一里塚、馬駕籠もなく泊りやもなし」というのが、のちに「正月は(元旦や)冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」といわれるようになったらしい。「めでたいのう、めでたいのう。あの世にまた一歩近づいたのだから、めでたいのう。正月に飾られるの門松は、まるで冥土へと向かう道に築かれた一里塚みたいなものじゃ」。このような意味の歌を詠みながら、一休禅師は年が明けたばかりの正月ムードの京の町を練り歩いたという。しかも、手には竹竿を持ち、その竿の先に人間の髑髏(しゃれこうべ)を刺していたというのだから驚きである。現代でこれをやったら、すぐさま通報されて逮捕されるに違いない。でもだ、誰もはっきりと自覚したいとは思っていないだろうが、正月を迎えることは、それだけ死が近づいたということを意味している。死というものが大袈裟で実感が湧かないというのなら、「老い」に置き換えてみてもいい。誕生日を迎えるということは、一つ老いたということ。「誕生日 ケーキに差された ロウソクは あの世に向かう 一里塚 めでたいことだが めでたくはなし。とも言える。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。