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Channel: まほろば自然博物館
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山茶花や非番の妻が魚買う

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは気圧の谷の接近や湿った空気の影響で次第に曇り、雨の降る所があるらしい。気温は0度から7.3度、湿度は68%から46%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 121/65/79 36.2c-98% 63.2Kg 18.8c-39%-1023hPa 体調に変化はない。依然として肩こりが続くが耳は聞こえるようになったし、食事も普通に食べられるようにはなってきた。

 

 昨日、島の家の年賀状も持って帰ってきたので、当選番号を確認した。総数68枚中で6枚が切手シートの当たりになった。毎年、2枚か3枚かしか当たらないのに今年はどうしたことだ。試しに二等と一等も調べてみたが、こちらはかすりもしなかった。

 

 で、島の家に届いていた年賀状のお返事として、寒中見舞いのハガキを出しておいた。

 

 今日は奥方がお休みなもので外出自粛。「どこに行くの」「何しに行くの」とうるさいからだ。だから、「あ、そうだったんな、お大師さん」の続きとか記事の修正なんぞをやっていた。小さなことからコツコツと、できることからぼちぼちと。

 

 町の小さな水道工事屋さんが、水のおいしいことを知っておうどん屋さんを始めた・・・というお話である。今では「大窪寺」と言うと、「打ち込みうどん」と言われるほど有名になった。国会議員さんや有名タレントさんたちも、わざわざ、ここまでおうどんを食べに来ると言うお店になった。そんな、内緒話である。

 

 これは、山門の描かれていない江戸時代半ば頃の大窪寺の絵図である。なぜ、二天門がないのか・・・というお話である。「えっ、ほんまなぁ、それは・・・」というお話である。

 

 そういうことで、着々と、この「あなたの知らない大窪寺教えます」というガイドブックができつつある。

 

 こちらが、私専用の「大窪寺ガイドブック」である。これを読み返し、ひっくり返しながら、大窪寺の謎はないか、鍵はないかと探し回っている。

 

 さて、島の家から確定申告に必要な源泉徴収票を持って帰ったからと、医療費控除の準備を始めた。私はこういう計算は苦手中の苦手なのだ。

 

 こちらは家計簿システムを使った医療費計算シート。病院ごと、薬局ごとの医療費を集計するシートである。

 

 こちらが提出用の医療費集計シートである。三年前(2018)には入院給付金だの見舞金だのと保険会社からバックがあったのに、昨年には全くない。前に異常な事だとシステムが変わったらしい。何のための保険やらわからないではないか。ま、計算が簡単で楽にはなったけれど。

 

 で、今日もあたたかいしっぽくうどんになった。お肉がアレルギーで食べられないので野菜ばかりになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「釣れないときは魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。」という、ノーベル賞作家のアーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961年)の言葉である。私も釣りが好きで、休日には釣りに行くのを楽しみにしていた時期があった。その頃は島の家周辺でいくらでも魚が釣れた。そのために船も買った。けれど、魚を釣り上げるまでには一分も掛からない準備にどれだけ多くの時間を掛けたからといって、必ず魚が釣れるわけではない。一匹も釣れずに終わる日だってあるわけで。魚がたくさん釣れた日であっても、釣りをしているほとんどの時間に何をしているのかと言えば、魚がエサに食い付いてくれるのを「待っている時間」である。そして、ようやく魚が掛かって、釣り上げるまでには、よほどの大物でもない限り一分も掛からない。その日、運良く五匹のグレや黒鯛が釣れたとしても、実際に釣っている時間はせいぜい5分足らずなわけだ。その5分という僅かな時間のために、丸一日も掛けて釣りに出掛けているのである。結果が出るまでの時間のほうが圧倒的に長い。釣りの話をしたが、人生も似たようなものだと思うのだ。「努力をして、結果が出るまで待たされている時間」のほうが、圧倒的に長いのである。これは、物事は「結果」だけに価値があるわけではないということを意味しているわけで、結果は大切だけれど、目標を達成するまでにどれだけ楽しめたか、こちらのほうもまた重要なのだ。物事は結果だけにとらわれるのではなく、「もっと過程を楽しむ努力をしてみよう!」と考えてみたいもの。「楽しみ」というのは、自然にふっと現れるわけではなくて、努力を伴うもの。意識して探してみる必要があるように思う。人生は、「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤をしている時間のほうが、圧倒的に多いわけで、幸せな人生であったかどうかなんて、本当は死ぬまで分からない。長い目で見れば、簡単に魚が釣れてしまうよりも、もっと価値のあることが得られる場合だってあるのだから。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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