さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は7.5度から11.1度、湿度は92%から70%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。
血圧106/61、脈拍86、体温36.6度、酸素濃度96%、体重62.6Kg、室温21.4度、湿度42%、気圧1021hPa、意識やや清明、尿量やや多め。体調に変化はない。
雨のせいでも気圧のせいでもないと思うが、肩こりがひどくなってきた。
私は義兄(奥方の兄)のマッサージを何度も受けたが、その時の痛さというかきつさにびびってしまって、マッサージやあんまとかというものは受けたことがない。湿布やシップ薬でなんとかなってきたのだが、今回は、そんなものも通用しない。
で、寝ていたらいいだろうと考えたが、昼間はどうしても寝られないし、ただ横になっているのも苦しいもので我慢ができない。
これは昭和の40年代あたりの大窪寺の風景だと思う。本堂と阿弥陀堂の間の空間に、こうしたおびただしい金剛杖や菅笠、松葉杖やギブス、コルセットなどが無造作に積み上げられていた。今はこうしたことはできなくなっている。杖や菅笠は「冥加金」ということで、有料で納めることになっている。
さて、先に大窪寺に至る遍路道が国指定の「日本遺産」に追加答申されたという話があった。
こういう遍路道が「日本遺産」になるというのである。
これは、大窪寺の仁王門前にある「日本遺産」に登録されたという章票である。今まで気にもとめなかったのだけれど、「日本遺産」って何じゃろうか。「世界遺産」とはどう違うんじゃろうかと考えてみた。
ということらしいのだが、いまいち、ピンとこない。ま、調べてみると、日本遺産になったからということで、専用の納経帳や輪袈裟の販売があったりと商品化されたり、日本遺産巡拝ツアーということで商業利用することが目に付いた。
だとしたら、私らも「日本遺産」案内人ということになるんだろうか。
先の大窪寺仁王門前のプレートに刻まれた文言である。新しいことや珍しいことは書いてない。当たり前のことを書いてあるだけ。これだけではガイドのネタにはなりそうもない。
キーを打つからか、右手や右手首、右腕から右肩などが痛むし、首筋も痛くて回らなくなってきた。いつも、二週間ぐらいで治るのだが、今回はしつこいようだ。
赤ちゃんは、何も持たずに生まれて来る。赤ちゃんは生まれる時に何も持っては来ないのだが、それなのに家族や周りの人々の笑顔を生みだしてくれる。死ぬ時も、生まれて来た時と同じように「何も持たずに」死んで行く。いくら大金持ちの方でも、お金に執着している方でも、お金や通帳や土地や車や財産を抱いて死ぬことは出来ない。最後は皆、骨を拾ってもらうのみである。なのに、なぜ私達人間は「人生と言う旅の途中で争うのだろうか?」素っ裸で生まれ、体一つで死んでいくというのに。旅の途中で物にしがみ付き、沢山の囚われと共に家族兄弟姉妹、親戚まで巻き込んでいがみ合い、罵り合い、顔で笑っていても心でけなし合う様な悲しい生き方をどうしてしてしまうのか。では、何の為に生きているのだろうか。持って行けない物の為に生きているのではないはずだ。では何の為に生まれ、何の為に生きているのだろうか。しみじみと考えさせられる雨の日曜日である。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。