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Channel: まほろば自然博物館
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山つつじ今日は最初の一歩から

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 さぬき市地方は、湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は15.5度から21度、湿度は68%から94%、風は5mから1mの東南東の風が一時は強かった。明日の14日のさぬき市地方は、高気圧に覆われるため、概ね晴れるらしい。

 

 112/65/78 36.4c-98% 64.6Kg 19.4c-45%-1014hPa 体調に変化はない。

 

 毎朝の日課になったウエアラブル端末とスマホの結果である。もちろん、普通の血圧計などの測定も併用している。

 

 今日は奥方がお休みで早くから畑仕事をやっている。

 

 なんだかんだのとお野菜の植え付けらしい。「お野菜だって買えば高いのよ」と仰るが、手間暇考えれば買う方がずっとお得だと思うのだけれど。

 

 で、その奥方宛に帆布が届いた。文字通り、船の帆につかうようなしっかりとした生地である。

 

 そうそう、私のお財布も、このにころこさんに頂いた帆布製の小銭入れである。本来は「タバコ入れ」だというのだけれど。

 

 だから、いまだににころこマークが残っている。

 

 それはさておき、クロスワードパズルを解く時には「えんぴつ」を使っている。勘違いや思い込みで書き込んだ答えが間違うことが多くて、消しゴムで書いては消し、書いては消しするから鉛筆が便利。その鉛筆を削るのがこれ。もう、忘れられた存在になった「肥後守(ひごのかみ)」である。

 

 私も何丁も買ったのだけれど、どこに置いたのか、今は二本しか見当たらない。明治27年ごろ金物問屋『重松太三郎氏』が鹿児島から持ち帰ったナイフ を元に、携帯できるよう「チキリ(尾)」をつけて刃と柄を折りたためる構造を考案したと言われており、当時取引先の多くが九州南部(主に熊本)だったことから製品名を『肥後守ナイフ』として販売したところ、現地で好評を得て販売数が大幅に増加した。

 

 明治32年に「肥後守ナイフ組合」が設立され、最盛期には登録製造業者40軒、肥後守ナイフの製造に従事する者が200名を数える大きな産業となり、兵庫県三木市は金物の町として大きく成長した。その後、時代の流れでカッターや電動鉛筆削りの登場、また昭和30年代に刃物追放運動が起こり、製造と販売に大きな打撃を受けてしまい、転職、廃業する業者が後を絶たず、現在では『肥後守』の商標を使用できるのは永尾かね駒製作所のみをなっている。

 

 この登録商標は、「ひごのかみ-さだかねこま」と読む。もちろん、私のナイフにも、この「さだかねこま」の刻印がある。

 

 今日のお昼はおうどんである。麺は富山の氷見うどんの細麺である。

 

 今日の掲示板はこれ。「知らないことがあっても落ち込まない。知らないから調べてみる。できないからやってみる。行ったことがないから言ってみる。そういう選択もある」というもの。秋山裕美さんの「そっと心にささやく元気が出る50の言葉」から。そして、「名言コツコツ」さんからの言葉である。「知らないから調べてみる」「できないからやってみる」「行ったことがないから行って見る」・・・・。なかなかにできそうでできないことばかりだけれど、とにかく、調べてみる。やってみる。行ってみる。そういう一歩から始めたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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