さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。明日も高気圧に覆われて晴れるらしい。気温は17度から29度。夏日になった。湿度は76%から45%、風は3mから1mの微風。
今日も天気がいいので、例の「法然上人讃岐の足跡シリーズ」の終盤戦。今日は琴平町に行くことにした。
JR琴平駅から高灯籠を横目に見て・・・・
コトデンの琴平駅。ちっともそれらしくない駅。うっかりすると見逃してしまうような駅。
今日のお昼はここになった。仲多度郡琴平町にある「うどん処ゆうび庵」というセルフのお店。というても、ここはなんでもあり・・・で、レストラン・カフェ・足湯・うどん打ち体験・・・それにお土産物屋さん・・・。
で、昨日に続いて、今日も「生醤油うどん小の冷や」をお願いした。ここはねぎまでトッピングしてくれた。今日はこの紙パックのうどん醤油だが、「お返しください」と書いてあった。冷たくておいしいおうどんだった。今日はほどほどに醤油をかけた。
こんぴらさんの参道裏手にある「海の科学館」に立ち寄り・・・。
金丸座も横目でちらりと眺めて通って・・・。この脇にある町道を牛屋口に向かう。昔の土佐街道から入ってくる旧道である。
その、町営広谷墓地の中にあるのがこの名号石。「法然上人直筆名号石」と言われているもの。これも案外とすぐに見つかった。
再び参道に戻ってエッチラオッチラ・・・。長い石段を登ってきて大門(旧仁王門)で休憩し、この「五人百姓」をひやかして・・・さらに進む。
旭社(旧金堂)を過ぎて本宮へ・・・。さすがに汗まみれになってしまった。最後の心臓破りの石段がきつい・・・。しかしのかかし、ここまで法然上人は登ってきたのやろうか。高齢でもあったのに・・・。その頃にはお寺「象頭山金光院松尾寺」というお寺だったはず。今みたいにカゴ屋さんもなかっただろうに・・・。
今回の目的は「参拝」ではないので、そのまま素通りして旭社まで戻り、書院を過ぎて社務所脇から裏参道を降りる・・・。
宝物館裏を過ぎて・・・「神苑グラウンド」目指して下る・・・下る。ようやくに見つけたグラウンドも草まみれ・・・。最近は運動会だの球技大会だのをやらないんだろうか・・・。そのグラウンド東の岡の上にこれがある。「円光聖天:えんこうしょうてん」さんという不思議なほこら。円光・・・というのは法然上人のこと、「円光大師」と呼ばれたことに由来する。「聖天」というのはインドの神さまで頭は象のへんな神さま。なんで、その神さんと法然さんがいっしょくたになってるんだろ・・・。中には「ヘビ」の置物が・・・。
その後に立ち寄ったのが「呑象楼」という日柳燕石の住居跡。かの「高杉晋作」も遊びに来ていたという屋敷である。普段には施錠されていて入れない。
これが、幕末の詩人でもあり、博徒でもあった「日柳燕石」という人。
これが、呑象楼のあった興泉寺。元はこのお寺の住職の隠居部屋であったらしい。それを事情があって、売却してしまったとか。そこに、一時期、日柳燕石が居候していたものらしい・・・。いろいろあるのだが、ここは省略。
最後に、先日、見落としていた「真福寺跡」という遺跡も見つけてきた。こんなんじゃ、なかなかに見つからないはずだ。
今日の掲示板はこれ。「自分のことより ちょっと他人のことを考える こんな人を心豊かな人という」というもの。雪山 隆弘著 『ブッド・バイ −み仏のおそばに−』より。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。