さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。明日も高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。気温は14度から27度。今日も夏日になった。湿度は70%から28%、乾燥気味。風は3mから1mの南の風。すっかりと夏になった感じ・・・。
で、例の「法然上人讃岐の足跡シリーズ」も県内は残すところ三箇所。その三箇所を攻略することにして、まずは「まんのう町:旧琴南町」に向かった・・・。
知る人ぞ知る「谷川米穀店」。今日はここのおうどんを食べに来たのではない。ここから、今日の旅がスタートする。この交差点から町道を延々と山の中に向かって東進する。
こういう山道(一応はアスファルト舗装完備)を山の中へ進むこと20分ほど。町道が行き止まりになっては引き返し、宅地に入っては引き返し・・・。道を尋ねるにも人が居ない。家はあっても応答がない、人がいない・・・。
ようやくに標識を見つけて、こんな山道を行くこと10分・・・。
突如として姿を現した、この建物。「ガキマチの観音堂」という。法然上人自作の観音菩薩像と勢至菩薩像を戦火を逃れてここまで運んできて、餓鬼の徒輩に説法した場所だと伝えられている。
道なき山中に、こんな立派なお堂があって、仏像があって、それでいて、きれいにお荘厳されている。掛かっている額を見ると、村の集会場的な役目も果たしているようだが、それにしては道がないのはどういうことか・・・。
第一目標が終われば早々に下山・・・。あいにくと「谷川米穀店」は開店前。「それではダメじゃん・春風亭昇太」。相当に走って走って・・・ここになった。
仲多度郡まんのう町造田にある「讃岐手打ちうどん・藤よし」という一般店。ここは前からお馴染みのお店で、ここのぶっかけうどんが気に入っていた。
で、それを今日もお願いした。「ぶっかけうどん小の冷たいん・・」で400円。味も見栄えもまるきり同じようなおうどんだった。
午後からは、まんのう町西高篠の「法然堂」を探したけれどわからずじまい・・・。そこをあきらめて善通寺市に向かった。善通寺市内を過ぎて・・・三豊市との境目あたり・・・、鳥坂峠手前の碑殿町というところ。
四国霊場の「弥谷寺」から「出釈迦寺」に向かう遍路道、しかも昔の遍路道沿いにあるらしい遺跡。
短い文章を解釈して、そのあたりを歩き回るというような調査。こういう道ばたの石碑が頼り・・・。こういう坂道を登ったり、降りたり・・・。ただ、歩き回るばかり。
「最後の民家から50mほど登ったところの右側にある・・・」と言われても・・・。ある資料には「100mほど」と書いてあるが、そのあたりを見ても何もない。500m、1000mと、山道を歩いたり戻ったり・・・。ふと、こちらかなぁ・・と踏み込んだ草むらから見えた光景・・・。
「確かにあった・・・・。」汗まみれで見上げた遺跡はでかいと思った・・・。しかしのかかし、誰が、何のために、こんなものを作ったんだろうか・・・。
今夜の体重は「60.47Kg」。思わぬダイエットだな。明日は、坂出市の「沙弥島・瀬居島探訪」、さらに落ちると思うのだけれど・・・。
今日の掲示板はこれ。「人間必ず死ぬ 病気にもなる この身の事実から目をそむける事 それを迷いという」というもの。 生まれたものは必ず死ぬことになっている。しかし、死ぬために生まれてきたのではなく、死ぬために生きているのでもない。 未来のために現在があるのではないし、現在のために過去があったのではない。その時の「今」こそかけがえのない「いのちの時」である。 過去に縛られることなく、未来を追うことなく、過去によって成り、未来を生む「今」を大切にしたいものである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。