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Channel: まほろば自然博物館
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野いちごをカラスが食べている月曜日

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 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で、昼過ぎまで雨や雷雨となっていた。気温は21度から26.6度、湿度は74%から96%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市地方は、梅雨前線が四国の南に停滞するため曇り、昼過ぎから雨の降る所がある見込み。

 

 114/64/78 36.3c-98% 64.8Kg 24.5c-73%-1013hPa 昨日よりかはずっと楽になったし、足のしびれもひどくはない。でも、朝からすごい雨だ。

 

 数字的には問題ないが、この雨では出掛けられないし、感染症拡大では出掛ける場所もない。それに今日は奥方の定休日。まるで閉じ込められたかのようだ。

 

 梅雨というよりかは豪雨のような雨である。

 

 昔は、「田んぼの畦が切れるぞぉ」とか「畑が流されるぞ」とかと大騒ぎをしたが、今の家に来てからはそんな心配はないし、水道管が流されることも船が流されることも心配しなくてよくなった。

 

 雨がそのあたりを大掃除してくれているような気分でのんきに構えている。

 

 で、相変わらず、観光ガイド用のマニュアル作りである。見残したところ、忘れている箇所などを洗い出していた。どうでもいいような話だが、それなりに先人たちが残したものである。なんとかうまくガイドできないだろうかと考えていた。

 

 こうした讃岐と阿波の国境の山村だから、病気になっても医者も薬もない。ケガをしても治してくれる人はいない。だから、村人たちは神仏の加護を願ったものだろう。だから、小字(自治会みたいな集団)ごとに光明真言二百万遍供養碑やら庚申講を作ったり庚申塔を建てたりしている。

 

 それはそうと、朝からこのすずめがけたたましい。パートナーを募集しているのか呼んでいるのかチュンチュンとにぎやかなことだ。

 

 巣箱がきれいに掃除できているのをかぎつけてか、しきりにパートナーを呼んでいる。

 

 で、ようやくにパートナーを誘ったものの、オスが、この止まり木に載った瞬間、これを止めていた針金がゆるんで巣箱がずれて落ちた。そのとたんに屋根も外れて二つに割れた。

 

 こんな状態になってしまって、中にいたメスらしきスズメは驚いて飛び出して逃げたし、オスだってびっくりして飛び去ってしまって、二人は仲良くなれないままにどこかに消えてしまって寄り付きもしなくなった。

 

 午後からは巻頭を飾る主題論文をまとめていた。少しばかり元気になれたかも知れない。スズメの巣箱騒動も他人事だから面白い。

 

 今日の掲示板はこれ。「近くして見えがたきもの我が心なり」というもの。昨年の今日、高松市仏生山町にある法然寺の掲示板にあったもの。『近うして見難きは我が心 細にして空に遍ずるは我が仏なり 我が仏は思議し難くわが心は広にしてまた大なり』 (秘蔵宝鑰) 私はこの言葉の真(まこと)を理解していない。もっとも近くにある自分の心の姿が、実はもっとも見えにくいのだと解釈している。難しいことはわからんのだ。そもそもこの「心」とは何を指しているのか。心はどこにあるのかと聞かれると、ほとんどの人は胸に手をあてる。本当にそうだろうか。考える頭と心は近くにある気もする。仮にそれを「まんまるお月さま」に例えるならば、日々刻々と変化しているの私の心は、分厚い雲であり、一層、まんまるお月さまを見えなくさせている真の心。そういえば真心(まごころ)という言葉がある。なんとも優しく濁りないイメージの言葉。しかし、まんまるお月さまが見えないからといって、そこに善悪はない。分厚い雲も受け入れて、やまない雨風も受け入れて、雲が去り、そこから強く照らしつける陽射しも受け入れて、逆に不平不満を言ったって、それも自分だ。ありのままを受け入れる。その素直さはとても大切であり、しかしながら難儀なこと。そんな不完全な人の心を深くから支え、灯し続けてくれているのは、実は誰もが内に有する真心(まごころ)ではないろうか。それを「仏心」ともいうらしい。どなたの内にもこれがあるらしい。だから安易に人を傷つけてはいけない。自分を粗末にしてもいけない。「想え 心中に月輪あり」空海さんの言葉らしい。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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