さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、上空の寒気や湿った空気の影響で昼過ぎから曇り、雨や雷雨となってきて、慌てて梅を取り込んだ。昼過ぎから夕方にかけて激しく降る所がある見込みとか。気温は21度から28.1度、湿度は94%から72%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜は雨が降るらしい。
104/58/78 36.7c-98% 64.8Kg 22.6c-61%-1011hPa 午前中は快適に夏の朝を迎えたが、昼食後はおなかが張って息苦しくなった。
数字的にはなんら問題はない。しかしのかかし、おなかが張るのと足がしびれるのにはどうしようもない。
パンを安売りしていたとかで珍しく朝食が出た。
観光ガイドマニュアルの「追加版」ができたので、ガイドの先輩宛に一部を送っておいた。で、そのまま、夏の風景を楽しみながら、山道を走って大窪寺まで行って来た。歩き遍路の若者が一人歩いているのに出会っただけ。四国の名物、おへんろさんはどこに消えてしまったんだろうか。
大窪寺は結願の寺だが終着点ではない。大窪寺~10番切幡寺(きりはたじ)へ向かう人、3番金泉寺(こんせんじ)へ向かう人、1番霊山寺(りょうぜんじ)へ向かう人、高野山に向かう人とそれぞれである。で、四国霊場総奥の院とされている誉田寺(よだじ)さんを調査してきた。
與田寺(よだじ)は、香川県東かがわ市にある真言宗善通寺派別格本山の寺院で、山号は醫王山、院号は虚空蔵院。さぬき七福神の一つ(寿老人)、四国八十八箇所総奥の院とされている。寺伝によれば、奈良時代の天平11年(739年)に行基を開山として醫王山薬王寺薬師院の号で法相宗の寺院として創建され、後に空海により宗派を真言宗、寺号を神宮寺に改められたという。本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
誉田寺から阿波(徳島)に向かう途中にある「白鳥(しろとり)神社」にもお遍路さんが立ち寄ってお参りしたという。ここから大坂峠を越えて、3番札所の金泉寺さんに向かったのが、昔のへんろみちだったという。
ガラス越しだから見えにくいが、シジュウカラが住み着いている巣箱に、最近、雀がちょっかいを出している。シジュウカラの親鳥が青虫を咥えてきても、スズメがいたのでは近寄れない。それとも、もう、巣立ちしてしまった後なんだろうか。気になる毎日である。
お昼前から雨になった。梅雨時だから仕方がない。
で、次なるマニュアル作りをやっている。「大窪寺のトリセツ」である。
これはワードというアプリで作っているのだが、古いバージョンが混在していてて、書いても書いても保存を拒否されてしまう。そこでだましだましやっているのだが、ストレスがたまりそう・・。
今日は奥方がいないので、豪勢にしてみた。中身はそうめんである。そのそうめんを冷やし中華風にしてみたが、なんだか、キュウリばかりになった。そうそう、我が家の畑に防鳥ネットを張ったもので、キュウリが豊作になってキュウリ漬けになってきた。
そう、中身はそうめんなのである。冷やし中華風そうめんということになる。
今日の掲示板はこれ。「なんとかなる なるようになる なるようにしかならない 心配するな」というもの。一休和尚が弟子たちに残したとされる遺言が『大丈夫、心配するな、何とかなる』というものだった。トンチで有名な一休禅師のお話。 一休禅師が亡くなる直前に弟子たちに、「この先、私が亡くなった後、本当に困り果てた時、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と巻物を遺して亡くなった。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になった。弟子たちは、知恵の限りを尽くしたけれど、妙案を思いつかず、どうしようもなくなった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、恐る恐る紐解いてみると、その巻物にはこう書かれていた。『大丈夫、心配するな、何とかなる』。それを見た弟子たちは、あっけにとられ笑い出した。ほどなく、一休禅師がまるで見透かしていたかのように、どうしようもないと思われていた寺の問題は、見事に解決してしまったと言う。ただ、医学では、そういうことは理解されない。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。