27日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は23.5度から33.3度、湿度は94%から64%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇るらしい。
111/64/78 36.2c-99% 61.2Kg 24.8c-72%-1005hPa 体調はすこぶる良い。身体も軽いし便通もいい。食欲もあるし食事もおいしい。
とかく歴史マニアや歴史家は「答えは一つ」「真実は一つ」という主義主張が強いことが多い。確かに時によってはそれが正解の場合もあるが、時代が移れば答えは違ったものになってくる。だから、ガイドはその正解を知らないし言うことはできない。大窪寺は誰が建てたのか。行基菩薩が開いた、弘法大師が創建した、住職誰それの時代に再建した、いや、建てたのは大工である・・・とかなんとかかんとか。
これは東かがわ市入野山という所にある「馬越」の三叉路である。一般的に大窪寺を打ち終えたら(おまいりが済めば)一番の「霊山寺(りょうぜんじ)」に御礼参りをするのだという。そういうルールはないのだが、口コミでそうなっている。そのためには三番の「金泉寺」経由で一番さんに向かうのが便利だった。
だから、ここには、白鳥神社(経由)金泉寺直行・・・と書いてある。もちろん、これが正解ではない。
いろんなルートで一番さんに向かうのだが、その一つとして讃岐の「しろとりさん」(東の白鳥さん、西の金比羅さんみたいな感じ)にお参りしてから阿波国に向かったという。そのルートを探してみた。
途中、「あやめ橋」やら「馬蹄石」というものがある。このあたりに「アヤメ」の名所があるわけではない。このあたりから「菖蒲石」という葉っぱの化石が発見されたからである。
一方、馬蹄石というのは貝(牡蠣らしい)の化石らしきものがあるからである。いずれも、このあたりが昔は海底であったことをうかがわせるものである。
ま、町おこしの一環としての看板であるが、わざわざ、これを見に来る人もあるまいになぁと思ったことだった。
で、前々から疑問であった「下星越峠」という峠があったらしい。長さは「二丁」というから220mくらいな峠らしい。そこで、ようやくに見つけたのが、この峠である。民家の上の少しばかりくぼんだところ。今はもう竹藪に覆われて通ることはできなくなっている。
調べてみたらば、「藤井古墳」という古墳が、この峠近くにあったのだ。このあたりで、お遍路さんにお接待をしたり、お遍路時期になると出店までできていたというところである。
で、なんだかんだとあって、ようやく「しろとり」の町までやってきた。この左の句碑も有名なものらしいし、この右手には「日本三薬師」の一つ、「田ノ口薬師」というお寺がある。後は海に向かって一直線に進めば「しろとり宮」である。
今日の朝ドライブはここまで。ここで10時過ぎ。ぐんぐんと暑さが増してきたので引き返して我が家に戻ってきた。ここまでを記録にまとめるには数日は必要なほど。
今日のお昼は天ぷらぶっかけうどんの冷やと野菜サラダである。これらを一気に食べて終わった。やはり、運動不足もあったのかなぁ。
今日の掲示板はこれ。「一生懸命だと、智恵が出る 中途半端だと、愚痴が出る いい加減だと、言い訳が出る」という武田信玄のことばらしい。内容としては、いいなぁと感じたけれど、今一つ、すっきりしない。武田信玄作とされる言葉で有名なものには、武田節の中にも取り入れられた、「人は城 人は石垣、人は堀 なさけは味方 あだは敵なり」。江戸時代に武田信玄の功績をまとめた「甲陽軍鑑」の中に、信玄の歌として紹介されているが、ただ確証はないようである。ただ、個人的に、「一生懸命」を武田信玄が使ったとは思われず、信玄公は「一所懸命」で、自分の領地に命を懸けたのが正解だと思う。自分の一生に命を懸けて働いたら、それこそ疲れ果てて倒れてしまう。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。