20日のさぬき市地方は、上空の寒気や湿った空気の影響で朝から雷雨となり、夕方まで雨が降るらしい。雷を伴う所もある見込み。気温は22度から25.5度、湿度は90%から82%、降雨量は0mm/hから2mm/h。風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇り、昼前から雨や雷雨となる所があるらしい。
112/67/78 36.1c-98%-62.6Kg 24.8c-84%-1016hPa 体調に変化はないが、少しばかり動くと息苦しくなって動けなくなる。じっとしていればなんともない。
台風9号以来、11日目の雨の日になった。それでも甲子園は晴れていて、高校野球をやっている。そんなにもお天気というのは違うものなのか。
こちら香川県東部さぬき市は暴風雨のような雨が降っているというのに・・・。
そんな中、「奥方が病院の診察があるの・・」と言う。18日の午後に転んだのに、早くも診察なのか・・・と、奥方を病院まで連れて行ったが、暴風雨のさなかである。奥方に傘を差し掛けたら私は全身濡れ鼠になってしまう。
で、「血を三本も抜いたの・・・」と仰るが、どんなもので三本なのかはわからないが、内出血でもしていたのだろうか。「ずいぶんと楽になったわよ」と仰るのだが、歩く姿は壊れたロボットみたい。
で、今度は勤務先へ病状報告に行くというので、総理大臣みたいに車寄せに堂々と乗り付けて、「ドアを開けてよ」「スリッパを準備して・・」総理が国会議事堂に乗り込むみたいなものだ。「すぐそこで待っててよ」はいはい・・。
で、出てくると、私の担当のケアマネさんとか、前の担当のケアマネさんとか、看護師さんとかを引き連れて玄関に出て来て「車を回してちょうだい」と仰せになられる。
「次は・・おうどんが食べたいの・・・」と仰せになる。ここも本当はアカンのだが、玄関先まで車を乗り付けて、そこから松葉杖でうどん屋さんへ。私は傘を差し掛けたり、傘をしまったり、車のドアを閉めたりしてからお店の中へ。
奥方は後ろから、「かけうどんとチクワの揚げもの」というので、私は自分のものと二人前分をチョイスしてお会計して・・・。
私は「温玉ぶっかけ」にしたのだが、温泉卵が半熟タマゴみたいで、なんとなく情けないおうどんになった。で、我が家に戻ったのがお昼前。
そうそう、島の家のリビングのガラス戸が台風で割れてしまった・・・という話をした。
で、このガラス戸が特注品で、現在は製造していないというし在庫もないという。アルミサッシ部分も曲がったり折れたりしていて修理不可能だという。
だから、今度はそれらを全て外してしまって、四枚戸にしたいという。いい、いい、何だっていい。ここの部分が見栄え良く治ればいいのだからして。費用は大幅に膨れるが仕方がないじゃないか。窓無しでは格好にならないし、第一、不用心で仕方がない。
次に給湯器である。灯油給湯器が壊れて、ガス給湯器に代えたのだが、工事で余った給湯器を無料でつけてもらっていたのだ。これが壊れてオンもオフもできなくなった。こんな数字も出て来なくなった。これではお風呂に困るというので相談をしたら、今度は電気の「エコ・キュート」にしたいという。
エコ・キュートに交換したら、これまでのガス設備は全て外してしまうと言う。この島にはガス屋さんがいないのだから仕方がない。ガスがないガス設備なんてガラクタでしかない。
こういう給湯器だったのだが、タダより高いものはない。これもやがてにはガラクタになる。
だとしたら、台所のガスコンロも、IHクッキングヒーターにしないといけなくなるという。あれやこれやで大散財になってしまう。一年中、ほとんど無人の別荘だが、だからと言ってお風呂もないし、お湯も沸かせないのではつまらんではないか。この年になって、屋外でたき火をしながらインスタントラーメンを食べるというのも情けないではないか。奥方に、もう少し働いてもらうことになりそうだ。
今日の掲示板はこれ。「何ものも「自分のもの」ではないと知るのが智恵である」というダンマパダからのことばである。「降れば濡れ 濡るれば乾く袖の上を 雨とて厭う人ぞはかなき」と一遍上人は言った。煩悩にまみれた自分でいいのだと腹をくくると光が見えてくる。「煩悩 を断ぜずして 涅槃を得るなり」と親鸞聖人も言った。人生さえも借りものである。清々しく生きられるコツがそこかしこにある。「何ものも“自分のもの”で はない、と知るのが知恵であり、苦しみからはなれ、清らかになる道である」と、『ダンマパダ』に書いてある。考えても仕方のないことを、あれこれ思い悩む のは愚かなことだ。「眠れぬ者に夜は長く、疲れた者に一里は長い。真実を知らぬ愚者に生死の道は長い」とも『ダンマパダ』に書いてあった。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。