18日のさぬき市地方は、午前中は湿った空気の影響で曇っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は今季初の14.2度から19.6度、湿度は50%から68%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前から曇り、午後は雨や雷雨となる所がある見込み。
108/68/78 36.1c-96%-63.4Kg 18.8c-59%-1024hPa 体調に変化はない。
別に終活のための断捨離ではないのだけれど、行きたいところもなければ、見たい場所もないので室内で片付け作業をやっている昨今。
こんな具合で引き出しや空き箱の中やタンスの中には雑多なものが投げ込まれているもの。それらを少しずつ片付けているのだが、
こんな写真が出てきたりする。これは平成16年の23号台風で我が家が流された時のもの。誰がこれを撮影したのかは不明だが、こういう写真が何枚も出てきたり、
行方不明になっていたLEDのトレース板とか、
ガイドマニュアル作成に必要で懸命に探し回った名刺とかなんとかやらが、出てくるわ、出てくるわ。こんなところにあったのかと目をパチクリすることも。
で、片付けたつもりがこれ。あんまり、以前と変わり映えがしない。
ところで、マリンママさんのブログにもあったように、セロテープやら両面テープやら輪ゴムやらが「風邪をひいて」しまっている。「空気や湿気にさらされたせいで、物品が劣化・変質してしまう」ことを指して「〈物品が〉風邪を引く」と表現するのである。お茶が風邪をひく、薬が風邪をひくなどと使うのだが歴史的には平安時代から使われていたようである。
我が香川県は京阪神の言葉が多く入っているから「風邪をひく」は子供のころから使っていた。「この膏薬はかぜをひいて使い物にならん・・・」というように。でも、最近は、あんまり使われなくなった言葉になったらしい。
そらそうだ。薬やお茶が風邪をひくなんて馬鹿馬鹿し過ぎる。まして車のタイヤや自転車のチューブが風邪をひいて熱を出して寝込んだというような話を誰も信用なんかしないのだ。でも、私の引き出しの輪ゴムは全部が全部、風邪をひいてボロボロになって切れてしまっていたり、べったりと引き出しに張り付いてしまっていたりするのだ。
そうこうしていたら、今日は公休日の奥方が、「おうどんに行こうよ」と言うので運転者役でついていった。昨日のこがね製麺所志度店の姉妹店の「こがね製麺所寒川店」である。
で、ついつい、いつもの「温玉ぶっかけ小の温いん」を注文してしまって、追い打ちをかけるように「温玉かきあげ天」をチョイスした。しかしのかかし、これは大失敗だった。温泉卵をかきあげ天にしたら、単なる卵入りのかき揚げ天になってしまっていたし、このかき揚げ天がおつゆを吸い込んでしまってべとべとになって、全くの粘土細工みたいになってしまった。
奥方はいつもの「かけ大」にレンコンの天ぷらをチョイスしていて、「おいしいおいしい」を連発していた。おまけに茹でて30分経ったものを「お持ち帰りください」サービス(三玉入り)を二人分いただいて帰ってくる始末。当分、おうどんだらけになりそうな気配。
今日の掲示板はこれ。「先の不安を思うより 今をどう生きるかが大事である」というもので、町内の善楽寺さんの掲示板から。どこのどなたの言葉かは探す間がなかった。「あすのことを思いわずらうな」と言うたのはキリストさんだと聞いた。これは、明日のことを思うな、ということではない。思いわずらうな、ということである。将来や先々のことを考えて、不安や心配で悩んだり苦しんだりなどと思いわずらってしまうのは、よくあることだ。ただ、いくら考えても、わからないこと、どうにもならないこともいっぱいある。そういうもののために思いわずらうのは、もったいない。幸せに暮らしたいなら、そんな無駄は省きたい。いくら考えてもわからないと、ある程度考えたのなら、どこかで割り切る考え方が必要ではないか。「なるようになる」「そのときはそのとき」「やるだけやるしかない」「その時々に幸せに過ごすように心がければいい」と割り切るしかない。明日のことを思いわずらうのは、どのくらい明日のためになるのだろうか。それと「今を大切にする」ことのどちらが大切なのだろうか。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。