16日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は1.5度から11.8度、湿度は76%から56%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
収縮期102mmhg、拡張期62mmhg、脈拍79bpm、体温36.3c/酸素濃度97%/体重64.2Kg 室内気温20.1c/室内湿度26%/気圧1025hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:10分、日の入りは17:17分 月齢は13.4 中潮。
今日は奥方は機嫌良く「タント」に乗って出勤して行った。さて、娘からの宿題である「奥方への感謝状」なるビデオメッセージの準備である。奥方が生まれたのは、静岡県浜名郡舞阪町である。ここへも一度、連れて行ってもらった。今は全く、当時の面影はないという。70年も経てば世の中は様変わりをしてしまう。
さて、奥方と出会う小道具がこれだった。香川から神戸に出て、友人もなく、一人で遊ぶために勉強したのが無線技士だった。会社の業務用無線の「特殊無線技士」から始めて、アマチュア無線を始めた。
そのために、いろんな免許をスキャナーで読み込んでおいた。
その時、偶然にアマチュア無線で知り合ったのが、この人。奥方のお兄さんである。眼が不自由だからとアンテナ工事や電気工事を手伝って居るうちに親しくなり、
それで、勧められるままに飲んでいるうちに、いつの間にか結婚する話になったらしい。若かったから、飲んで騒いでいるうちに、つい、うっかりと頷いてしまったらしい。
あのときのおでんはおいしかったのだけれど。おでんにトゲがあるとは気がつかなかった。
そうこうするうちに、父が早くに亡くなってしまい、家族の面倒をみるために、香川県に戻されて、この「電報電話局」に配属された。これで、神戸はぐんと遠くなってしまったのだが。
そういうことを、パワーポイントに入力していた。
でも、仲人さんがよくしてくれて、話がトントン拍子にうまくまとまって、花嫁道具を届けてくれたりもした。
そして、昭和46年11月、二人の結婚式をどうにか挙げることができた。この間には、なんだかんだと障害もあったし、断崖絶壁もあった。あれから、昨年の11月で50周年を迎えることができた。ご存じのように、私はその間に何度も生死の境をさまよう病気や手術をやってきた。
今日の作業はここまでである。あれから50年を、どういう画像で、どういう話を持ってきて語っていくのかと思案中。
でも、こうして、自分の土地で、自分で作った野菜を食べて、好きな花やバラを植えて楽しんでいるのだから、きっと満足した生活を送っているのだろうと思う。それを、どういう言葉で感謝すればいいのかと考えている。
今日のお昼もまたまた鍋焼きうどんになった。でも、うどんが好きなわけではないし、うどん通でもない。ただ、そこにうどんがあるから食べるだけなのだ。うどん県在住の県民の風上にもおけないけれど。
今日の掲示板はこれ。「寒いけど 梅も桜も 芽が出てる」というもの。これも、あちらこちらで見かけるけれど、どこの誰の言葉かわからない。でも、ものごとは一朝一夕にできあがるものではないし、ぽんとある日突然にできあがるものでもない。寒い中、厳しい中で準備を積み重ねてこそ、ものごとはきれいな花を咲かせることができるということらしい。今は寒さの始まったばかり。暦的には寒さの底かも知れないが、そんな中でも生き物は春に向かって着々と準備をしている。自然は偉大な先生だ。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。