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Channel: まほろば自然博物館
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豆まきがこんなに悲しい遊びとは

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 2月1日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夕方は雨の降る所があるらしい。気温は1.5度から11.0度、湿度は78%から48%、風は1mから6mの西の風が少しばかり強かった。強風、波浪、乾燥注意報が発令中。明日の2日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期111mmhg、拡張期68mmhg、脈拍77bpm、体温36.6c/酸素濃度97%/体重65.4Kg 室内気温20.1c/室内湿度27%/気圧1022hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:02分、日の入りは17:33分 月齢は29.4の「朔」、つまり、旧暦の一月の一日、旧正月で大潮。

 

 起きてすぐの朝の間、一ヶ月ぶりにポータルサイトの更新作業をやっておく。ここはほとんどアクセスがないので、そのまんまになっていることが多く、更新作業も二ヶ月に一回程度になってしまっている。

 

 で、早くも三月分の行事予定表を作っておいた。一月が終わったらすぐに二月、そしてすぐに三月が来る。

 

 今日はいい天気になったので布団を干しておいた。

 

 で、久しぶりに掃除機をかけておいた。いつもは送風機でホコリを追い出して、それを集める方式だけれど、今日は、それをやっておいてから掃除機でホコリを吸い取っておいた。

 

 その後、すっきりとした後で、「新風土記」の前後につける「まえがき」「あとがき」を書き直してみた。前書きなんぞは、何年も全ての本に使ってきたものだから、それはそれでも良かったのだけれど、今年からは少し丁寧にやってみようかということで。

 

 ま、この本も「非売品」の「私家本」だから、他人様の目に触れることはないのだけれど、我が家の「総合マニュアル」みたいなものであるし、我が家の「覚え書き」みたいな書物である。

 

 ま、早く言えば、私の生きた記録集であり、その備忘録である。私がいなくなれば、もう、誰も、そのことを知っている人はいなくなるという「思い出日記」である。

 

 手っ取り早く行ってしまえば、「単なるぼけ防止」のための「ひまつぶし」でもある。

 

 山に食べ物がなくなってきたからか、ひだまりに野猿が集まってくる。その数は十数頭のチームがあちらこちらでたむろしている。

 

 今日の「玉子かけご飯」は、富山の氷見うどんに解きタマゴにゆず胡椒を混ぜてかけてみた。お醤油も「玉子掛けご飯用」のお醤油である。

 

 でも、これって、「山越えうどん」で有名になった「釜玉うどん」じゃないか・・・と思ってしまった。

 

  今日の掲示板はこれ。「鬼とは私のことか 豆がまかれる」という住宅顕信の俳句から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。もうすぐ節分。冬と春の分かれ目ということで、暦の上では春になるころである。節分といえば豆まきであるが、豆まきを題材にした俳句を取り上げた時期らしいことばである。「鬼とは私のことか豆がまかれる」 ことばと言っても、これは自由律俳句。荻原井泉水、尾崎放哉、種田山頭火などの流れを汲むもので、「住宅顕信」さんは1987年に25歳の若さで急性骨髄性白血病で亡くなった俳人だ。この句にも、作者のそうした悲しい背景が忍び込んでいるように感じられるのだけれど。

 

 この時期になると、このお話。自由律俳人の「住宅(すみたく)顕信」の「未完成」という句集である。 住宅顕信は、本名・住宅春美(すみたく はるみ)。岡山県岡山市に生まれた。岡山市立石井中学校卒業。仏教に傾倒し、1982年9月より、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺にて得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を釋顕信と名告る。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「無量寿経」に因み、無量寿庵と名付けた。1985年に句集『試作帳』を自費出版。「層雲」の権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加する。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投句できなくなる。1987年2月7日23時23分、還浄。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。(Wikipediaより)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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