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Channel: まほろば自然博物館
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悩むまま今年も元気に咲いた花

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 17日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は0.0度から4.8度、湿度は42%から70%、風は3mから7mの西の風が一時は強く冷たかった。強風・波浪・乾燥の注意報が発令中。明日の18日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期115mmhg、拡張期68mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度99%/体重65.6Kg 室内気温21.0c/室内湿度34%/気圧1018hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:47分、日の入りは17:49分 月齢は15.9の大潮。スノームーンのおかげで明るいなぁと思っていたらば雪だった。

 

 でも、朝になったらすっかりと雪は消えてしまっていた。今年初めての雪だったなぁと思ったことだった。

 

 朝の間は、先日の旅行の記録の整理をやっていた。各所でいただいたチラシやら案内書やらをスキャナーで読み込んでデジタル資料に取り込んでおいた。

 

 こういう具合にして、紙の資料を電子化してしまっていた訳だ。そうすれば紙の置き場が少なくなってくることだから。

 

 ついでに、この風土記の中に、「農作業」という項目がないことに気がついて、「稲作」だの「麦作」だの牛の飼育とか借り耕牛のこととか養蚕のこととか。

 

 戦後、しばらくまでは、農作業なんかもみんな手作業だった。小学校の教科書なんぞで、アメリカでは自動車に乗って田んぼに行って、コンバインやトラクターで仕事をするのだと聞いて驚いたことだった。

 

 養蚕という産業もあった。我が家でも桑畑が有り、桑の葉を摘んできておかいこさんに食べさせて繭にした。営繭(えいけん)という言葉や 上蔟(じょうぞく)した熟蚕なんぞという言葉は、もう、すっかりと死語になってしまったように思う。そんなことをまとめていた訳だ。

 

 今日の予定はない。今週いっぱいは休養日。その合間に、しっかりとお勉強をしているわけだ。

 

 さて、ご案内の通り、今日が母の命日である。母は大正15年に生まれ、平成25年に亡くなったので、87才だったと思うが、過去帳には88才と書いてある。戦前の青春時代を混乱期で迎え、戦時中には農家の嫁として働き、戦後は私たち子どもを養育することに苦心し、落ち着いたと思ったら台風で家も思い出も着る物もなくしてしまった。そして病を得て亡くなった。

 

 現在は会館や斎場でのお葬式が主流の時代だが、母の遺言で頑固に「自宅葬」で、私が読経をして送り出した。記録的には17日死亡、18日お通夜、19日告別式となっている。あれからもう、9年が過ぎた。

 

 あの日も、この地域には珍しい大雪になって、霊柩車が斎場に昇れないからとお昼過ぎの出棺になった。

 

 今日は一人で母の命日法要をつとめておいた。

 

 で、今日も頂き物のレトルト食品でのお昼にした。毎日毎日、デスクワークばかりだから運動不足だし、食欲もないし。でも、食べておかないと・・・と思う食事になっている。それでも体重は少しも減らない。

 

 妙な取り合わせだが、先日に小豆島で買ってきた「酒の粕」で作った「かす汁」とバターチキン・カレーのコンビネーション。底冷えするような気温の中で、暖かい飲み物がおいしかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「解決できんものがあるところに また人生の意義がある」という、曽我量深先生の言葉から。世の中には解決できるものと解決できないものがある。生老病死の問題や人生の苦悩の問題や後生の一大事の問題や・・・。その解決できないものがあるところにおいて、この「私の人生の意義があるではないか」という先生のお言葉である。蘇我先生の一言には深みがあると思う。「解決できんものがあるところ・・に、また、人生の意義がある」・・・。なんでもかんでも即決で簡単に解決できたらうれしいし、楽しいし、気楽だろうとは思うけれど、きっと・・・「つまらん・・」と思うと思う。悩み、苦しみ、泣き、わめく・・・。怒り、ねたみ、そねみ、恨みするからこそ・・・人生には意義があると思う・・・。そのことにお釈迦さんは気づかれて出家したんだろうと思う・・・。「生老病死」という、どんなにしても解決できんところに・・・お釈迦さんは意義を見つけたんやろうね。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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