10日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.5度から13.6度、湿度は98%から58%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。さぬき市には乾燥と霜の注意報が発令中。明日の11日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
収縮期109mhg、拡張期56mmhg、脈拍79bpm、体温36.3c/酸素濃度99%/体重67.4Kg 室内気温19.8c/室内湿度34%/気圧1025hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:22分、日の入りは18:07分 月齢は7.4の小潮。
ずいぶんと前からだが、おなかがどんどんと大きくなっていく。昨年春には2Lだったように思うのだが、昨年の暮れには3Lになり、今年の2月には4Lになったが、それももう限度になってきた。先日から、どうにも息苦しくなってきて、とうとうたまりかねて泌尿器に行くことにした。どうにも尿の出具合が少ないように思うし、下腹部が大きく張ってきたように思ったからだった。
途中の東かがわ市の湊川堤防上にある河津桜並木がようやくに開花して、四分咲きから五分咲きみたいなイメージ。まだまだ、つぼみが多い。それでも大きなカメラを提げた人やテレビカメラを担いだ人たちも見える。
で、いつもの県立病院に着いたのが8時40分ごろ。つい、先日に来たばかりなのになぁと思いつつ。
で、今日は予約日ではないので受付で、「こうして、こうなった」みたいな話をして受付を済ませる。
今日は木曜日だからか患者さんが少なくて、二番目に呼ばれた。そうそう、先月の28日に膀胱カテーテル検査をして異常なしだった。あれから10日目にしかならない。
下腹部に尿がたくさん溜っているだろうと思ったのに、「残量ゼロですね」と言う素っ気ない返事。じゃぁ、このおなかは何ですか・・・と質問すると、膀胱エコー検査をしてくれた結果、「腹水ですねぇ」という。「採れないのですか」というと、「注射器で採れるほどではないないです。内臓の間に水が溜っていますからねぇ・・」という返事。
「あとはわからんですから、内科の日浦Drに診察してもらってください」と言う。「心臓が悪いから腹水がたまるんだろうと思いますよ」という。私もそういう診断は聞いている。腹水を抜いてもすぐに元のように溜ってしまうのだとも。「腹水中にはがん細胞や細菌のほか栄養に関わるアルブミンや免疫に関わるグロブリンというタンパク質が大量に含まれていて、これを抜いてしまうと栄養状態が急速に悪化して全身状態が悪くなり、さらに腹水がたまりやすくなるという悪循環を招くのだそうである。だから、患者が腹水で苦しんでいても、こうした理由から医師は腹水を抜きたがらないのだという。
この灰色の部分が腹水なんだそうである。腹水は一度に大量に抜くと血圧が下がり循環不全を起こして、ひどい場合はショック症状につながることもあるそうな。そのため、抜くとしても一度に少量に限られるそうで、少量を抜いても2、3日でもとに戻ってしまうのでに、抜いても意味がないと言われて、患者はひたすら我慢を強いられるという状況らしい。
だから、おなかが大きくても食事は普通にできる。私は朝食抜きで夕食はわずかだから、お昼だけが楽しみなので、今日もこうして、「ふわふわ玉子かけ梅がゆ」を作ってみた。メレンゲでいっぱいになっている。
「究極の玉子かけご飯には少しばかり物足りないが、「至福の玉子かけご飯」にはなった。こんな玉子かけご飯があったのか・・・という玉子かけご飯である。子どもの頃には毎日毎日「生物学的」に、ただむしゃむしゃと食べて来たが、こういう玉子かけご飯があったのかと思わせてくれる昼食になった。
この日曜日の「地神さん」用のしめ縄・紙垂(しで)と、幣束もできあがっている。明日には、奥方のバラ園を作ってくれる庭師さんがやって来るので、裏庭の掃除もやっておかねば・・・。
今日の掲示板はこれ。「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心 むこうから」という放浪の真宗詩人『念佛詩抄』木村無相著よりの言葉である。木村無相さんは、熊本県出身で複雑な家庭環境の中、少年時代を朝鮮半島や中国大陸で送ったが、17歳で単身帰国。このころから宗教に対する関心を深め、京都の一燈園で過ごしたこともあったという。その後、職業を転々とし、流浪の身になった。仏道を歩もうと決めたのは、2度の自殺未遂を経て、26歳からの4年間を過ごしたフィリピンの開拓地だったという。その後、四国などのお寺に世話になりながら放浪の生活を続けた。種田山頭火と親交を結んだのは30歳過ぎのころ。山頭火の俳句が好きで文通を続けていたところ、山頭火から「あなたをお訪ねします」との返信があった。二人は1週間ほど、愛媛のお寺で寝起きを共にして、杯を傾けながら俳句や旅について語り合ったという。その後、二人が出会うことはなかったが、放浪の旅に救いを求め続けた二人の詩人が触れ合った一瞬だった。救われがたい我が身の心境が信仰に向かわせたのか、70歳前に出版した詩集『念仏詩抄』(永田文昌堂)には「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心むこうから」など、凡夫の自覚に満ちた詩がつづられている。無相さんの心の闇が何であったかは分からなままだが、無相さんは亡くなる前、親しい友人に「結論はなんにもいらんのや、凡夫なりに信心も安心もなにもないまま、凡夫のままで死んでいけばよい」と語っている。私も、そうでありたいものだと思っている。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。