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Channel: まほろば自然博物館
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音もなくひとり花咲くチューリップ

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 6日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11度から21.4度、湿度は72%から40%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期92mmhg、拡張期53mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重62.1Kg 室内気温17.0c/室内湿度49.6%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:45分、日の入りは18:28分 月齢は4.9の中潮。

 

 今日は弟のたっくんの案内で東かがわ市入野山という集落にある「中尾峠」という旧遍路道を歩く日である。早くから行きたいとお願いをしてあったのだけれど、おなかに腹水が溜って歩けなくなって、ようやく、今日の日になって峠を攻略することになった。ここがお遍路さんの休憩所である。ここから山の中へ入っていく。

 

 旧遍路道と言っても、道がある訳ではない。山裾を踏みしめて歩いていく自然の道である。左の平たい部分は、昔の水田の後らしい。それが豪雨かなにかによって流された跡みたい。

 

 その山裾に、こうした「遍路墓」が十数個ある。こうしたお墓の年号やら生国と呼ばれる出身地などを調べて記録するのである。私は、ここがB地区だと思っていたのに、弟は、ここが「A地区」だという。この谷筋にA,Bの二つのお墓、墓地があるらしい。

 

 で、お墓の調査が終わったので、足下の悪い中、よちよち歩きで元のおへんろ休憩所へ戻っている途中・・・、

 

 弟が何気なく拾い上げた石が、実はお墓であって、ここが「A地区」で、先に登った場所が「B地区」だと分かって安堵した。手前の方のほうは、お金を持っていなかったお遍路さんのお墓で、自然石を置いただけ。名前も住所も何もない。

 

 お金を持っていた人は、その所持金で、それなりのお墓を作ってくれたようである。

 

 この人も所持金があったものか、それなりのお墓のスタイルにしっかりとした文字が刻まれている。こうして、目的の「A地区」で六件、「B地区」で七件のお墓を確認することができた。

 

 その後は、大窪寺門前の「野田屋」さん、向かって右側のお店で昼食になった。昨日、孫のはやて君と来たお店である。

 

 で、私は「天かまうどん」を注文し、弟は「天ぷらセット」を注文した。そのおうどんを食べながら、九日の土曜日の「けいこばぁ=奥方」の誕生会の打ち合わせをやっていた。奥方には内緒のサプライズだから、どんな料理にするか、ケーキはどうするか、どういう趣向でお祝いするかなどの打ち合わせだった。食事が終われば、そこで解散になった。

 

 帰りに、銀行で、島の別荘の固定資産税の納付を済ませ、この電機屋さんで念願の電子血圧計を買った。

 

 今までの血圧計は「カフ」と呼ばれる腕に巻く部分がほつれてきて、正確な血圧測定ができなくなっていたので新調したというわけ。この血圧計は、スマホに測定結果を転送してくれる仕組みになっている。

 

 家に戻ると、早速に弟が掘ってきてくれたタケノコの下ゆでをしておく。あく抜きも兼ねている。これで、奥方が戻ってくれば、好きなように調理すればいい。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きると言うことは恥にまみれるということだ」というもので、町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。2017年発売『NieR:Automata』内に出てきた、ポッド153によるセリフからである。“生きる”とはなんだろうか。人間であれば、人生で一度は考えたことがある命題ではないだろうか。仏教には「生老病死」という用語がある。生まれること、老いること、病にかかること、死ぬことは人間として避けられない4つの苦しみである、という考え方だ。また仏教には”この世のすべては苦しみである”という一切皆苦と呼ばれる考えもある。これらに基づけば、生きることは苦しむことと同意である。“生きる”とは苦しく、意味のない行為なのであろうか。実はかの有名な文豪である夏目漱石も「私はすべての人間を、毎日毎日恥を掻かくために生れてきたものだとさえ考える事もある」(硝子戸の中)という、似たような言葉を残している。生きるという事は、恥にまみれるという事だ。であるのなら、恥を晒すことを気にしたり恐れたりすることをせず、日々を前向きに生きていけばいいではないか。このセリフはそんな励ましなのではないかと、私には思えてならない。確かに生きることは苦しいし辛い。しかし恥をかくことを恐れ、なにか新しいことや難しいことに挑戦する姿勢を忘れてしまえば、“生きる”という行為の良い半面を享受することはできないのではないだろうか。確かに生きることに意味はないのかもしれない。だがそれを受け止めた上でどう生きていくのか、それこそが大事なのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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