29日のさぬき市地方は、低気圧や前線の影響で昼過ぎにかけて雨となり、激しい雨が降ってきた。気温は16度から17.5度、湿度は96%から70%、風は1mから5mの北北西の風が一時は強かった。明日の30日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
収縮期102mmhg、拡張期61mmhg、脈拍80bpm、体温36.6c/酸素濃度97%/体重64.6Kg 室内気温18.3c/室内湿度55.4%/気圧1015hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:17分、日の入りは18:46分 月齢は27.9の中潮。
ほぼ、一日中の雨になった。平成の7年に島の家ができてからは、五月の連休は島で過ごすようになったもので、それまでに田植えを終わらせておかないと島に行くことは許されなかった時代があった。まだまだ、母が元気だったころである。だから、この29日にはすべての田んぼの田植えをやっていたものだった。当然、奥方も一緒だった。そんな時代が10年ほども続いただろうか。
平成の16年の台風で田んぼが流されて農業を諦めてしまってからは、田植えを気にすることもなく島でのんびりと遊ぶことができるようになった。毎年、今頃になると、そういうことを思い出すようになった。
さて、ここのところ、三日連続で夜中の就寝中に足がつるようになった。歩けないのに、無理やりと歩いたり作業をしたからかで神経がおかしくなったのかもしれない。けれど、昼間には足がつることはないのが不思議だ。
で、足がつったり、足が痛くなったら、これが救世主。飲むとたちどころに足の痛みがおさまってしまう。奥方にも常備薬として持たせているが、奥方も職場での転倒事故以来、足がつったり、足が痛くて寝られないことがあるという。そんな時にはありがたいのだという。
いや、薬の宣伝をしているわけではないが、毎晩の事になると、非常にありがたい存在だと思う訳だ。
そうそう、今日は「昭和の日」なんだそうだ。元は「昭和天皇の誕生日」だったらしいが、政治的になんだかんだとあったようで、今の「昭和の日」になったらしいが、4月29日は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日」となったらしい。
私は戦後の昭和生まれだから、「激動の日々」はよく知らないけれど、「みんな、貧しかったけれど、楽しい日々だった」という思い出は残っている。何もなかったけれど、それで不自由だと思ったことはないし、それが当たり前だったような気がする。
こんな田舎だから、電気が来るのはおそかった(昭和27年)けれど、電気がやってきてからはあっと言う間にラジオだ、テレビだ、洗濯機だ、冷蔵庫だ、電気炊飯器だと目まぐるしいように物があふれるような暮らしになったのも「昭和」だった。で、インターネットの前身の「パソコン通信」のセンターの運用中に昭和天皇が亡くなられて昭和が終わった。あっけない幕切れだった。パソコン通信もインターネットに姿を変えた。
そんな思い出を書き連ねたものが、私の自分史「昭和は輝いていた」という冊子である。でもまだ、「平成は輝いていた」とは思えない私がいる。
今日のお昼もまたまた「卵かけご飯」になった。菜飯+いかなごのくぎ煮+塩ジャケのほぐし身+玉子掛け=「激動の昭和TKG」とでも名付けようか。振り返ってみれば、戦後の私にも小さいながらにも「激動」はあったのかも知れない。
雨は降りしきり、風が逆巻いて、まるで、「メイ・ストーム」みたいで、「梅雨のよう」には思えない雨である。ということで、今日の屋外の作業は無理・無理・無理・・・。
今日の掲示板はこれ。「人生は出会いによって豊かになり 別れによって深くなる」というもの。いつもの町内にある善楽寺さんの掲示板からである。人との出会いにもさまざまな縁がはたらいている。見えるもの、見えないもの、無数の縁によって出会いが成り立っているもの。しかしのかかし、縁は出会いだけではなくて、別離もまた縁である。「つくべき縁あればともない、はなるべき縁があればはなるる」(歎異抄)という言葉もあるように、出会いの縁は喜ぶが、別れの縁などまっぴら、というのは余りにも自己中心的である。好ましいことも、好ましからぬこともともに縁として受けとめ、向き合う人生には真の喜びがあり、安らぎがあるのではないだろうか。しかし、それがわかっていても、自己中心的になるのが人間であることも知っておけば、人さまを大切にする気持ち、人さまの気持ちを察する人間性を養い、良縁が多くなると信じている。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。