さぬき市四国地方は梅雨前線や湿った空気の影響で雲が広がり、小雨の降っている所があった。気温は23度から25度どまり、やや肌寒く感じる頃もあった。湿度は93%から76%。風は2mから3mでさわさわ〜・・・程度。
昨夜は「木曜八時のコンサート」というTV番組の2時間特番があったもので、ついつい、日本酒を余分に飲んだようで、朝方にけいこばぁから「イエローカード」を頂戴した。いびきがうるさかったんだろうか・・・。
さて、今日もそういうことで(どういうことや〜)、昨日とよく似た一日。ブログやFBのチェックやらブログ巡回。メールのチェックやら削除削除削除・・・。一日で数百件のメールが来るのだから。ほとんどがFaceBookからのものだから、一斉削除してしまう。
今日の朝昼兼用のうどんはここになった。木田郡三木町上高岡にある「手織うどん滝音」というセルフのお店である。
ここは、どういう訳だか人気が高くて、10時の開店と同時に大勢の人がやってくる。お昼時には駐車場があふれ、道路上に行列ができるお店。だから、私も10時開店直後にここに入る。それでも店内は大賑わい。
ここでも、ヘルシーメニューの「わかめぶかっけ小の熱(あつ)いん」を注文した。今日は肌寒いほどで、朝方は気温が23度だったこともあって。でも、できあがったものは・・・「温いん」になっていた。熱いにはほど遠い・・・あたたかさだった。国語辞典では、「温い:ぬくい」も、「温い:ぬるい」も同じなんか・・・。このPCの辞書では、「ぬくい」を「温い」と変換するし、「ぬるい」も「温い」と変換する。熱くなく、冷たくないのが、ぬくいか、ぬるいかなんだな。
その後、仏生山町にある「法然寺」に寄ってみた。法然寺は、香川県高松市にある浄土宗の寺院で、山号は仏生山。正しくは、「仏生山 来迎院 法然寺」と称する。本尊は法然上人作と伝わる阿弥陀如来立像。法然上人二十五霊場第二番札所でもある。
鎌倉時代前期の建永2年(1207年)に讃岐に配流された浄土宗開祖の法然上人(正しくは、法然房源空)が立ち寄った那珂郡小松荘(現まんのう町)に生福寺が建立された。
江戸時代前期の寛文8年(1668年)に水戸黄門で有名な徳川光圀の実兄にあたる?松藩初代藩主松平頼重が、戦乱で荒れ果てていた生福寺を法然寺と改名して、香川郡百相郷(今の現在地)に3年の歳月を要し移転・建立した。寺院背後の仏生山丘陵上を削って平らにして、「般若台」と呼ばれる松平家の墓所を設けて、当寺院を高松藩主松平家の菩提寺とした。
この丸い、筆の先のような石碑は「無縫塔」と言って、主としてお坊さんのお墓に使われるが、ここでは松平家の家族などが、この無縫塔で作られている。まれに家老や従者などの墓も混じるが、それは普通の位牌型である。
今日で愛車の車検が終わった。終わったが、明日の天気もよくないので、当分は「ニート爺さん」になりきってしまうのかも知れない。
今日の掲示板はこれ。少し変わった掲示板。「努力して結果が出ると自信になる 努力せず結果が出ると傲り(おごり)になる 努力せず結果も出ないと後悔が残る 努力して結果が出ないとしても経験が残る」というもの。最後の一行の・・・「経験が残る」が光る。とにかく、努力してみることだ。チャレンジしてみることだ。結果は二の次、三の次だ。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。