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Channel: まほろば自然博物館
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ひたひたと夏が来にけり雨が供

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 3日は、湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方は雨が降るらしい。雷を伴う所がある見込み。明日の4日は、台風や湿った空気の影響で断続的に雨が降る予想。雷を伴う所がある見込み。

 

 今日も平穏無事。上半身は元気そのもの。下半身、特に両足の太ももからくるぶしにかけてのむくみが大きく、歩くのにも支障があるが、歩けないほどではない。肝心の心臓の数値は平常そのもの。

 

 今日、奥方が写真館から「遺影」をもって帰った。さすが、プロのカメラとプロの腕だ。すばらしい遺影になったが、画像が貼り付けられないのでお見せできないのが悔しい。こうして椅子に座ってキーボードを打っていると、おなか周りに腹水が溜まってくるようで苦しくなるので休み休みで打っている。

 

 これで、お坊さんの用意に法名の用意もできた。会館の予定も付いた。遺影もそろった。我が家で亡くなり、我が家で葬儀をしてとお願いしてあったが、却下されて、会館での葬儀になった。坊さんもいらないというてあったが、「人並みの葬儀で送り出したい」という娘の一存で決まってしまった。

 

 「でも、立派なお位牌を準備した方は一年も生きたよ」と、訪問看護師がいうし、見舞客が「早くから葬儀の準備をすると長生きするよ」とも言われた。ともに根拠のない話だが、こんな生活をまだまだ一年も続けるとなると精神的にも苦しいと思うばかりだ。

 

 不要なメールアドレスも削除するようお願いしたし、ポータルサイトという、ホームページの閉鎖と削除もお願いした。あれこれとできることからやっている。

 

 プロバイダーはCATVや電話も含んでいるので、奥方への名義変更や口座切変えもお願いしておいた。すでにスマホは奥方のものになってしまっている。所詮、無一物になってしまうこの身である。仕方がないことだ。

 

 我が家にいてもすることはないし、できることもない。寝るか、食べるか、トイレに行くくらいなもの。でも、病院では、こんな自由はない。ベッドにはノートPCがあり、すぐ隣にはデスクトップPCを用意してもらっている。体が安定していれば遊びもできる。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は どう死ぬか いつ死ぬかは選択できない どう生きるか これだけは決められる」というもの。一説には、「ジョーン・バエズ」の言葉だとされている。でも、この前からエンディングノートを書いていて思ったのだが、「どう死ぬか」は、ある程度決められるように思った。事故とか災害とかだと、そうもいかないのだが、病院で死ぬか、自宅で死ぬか、延命治療か、それを拒否するのか、遺体を献体するのかしないのかなどと余生を考えることはできるように思った。そしてまた、持病を持ったまま、「どう生きるか」というのも難しい決断だと思った。「あなたらしい人生を・・・」と、医大付属病院の大学教授は言い捨てたけれど、「私らしい人生・・・」というのは、どういう人生なんだろうか・・・とも思ったものだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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