さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は朝から28度超えで午後には38度を超えた。?松では39度を超えたみたい。湿度は74%から54%と幾分かは下がってきた。風は無風か1m程度。
今日は坂出市府中町にある香川県埋蔵文化財センターで「考古学講座」が開かれる日。とある友人から、「讃岐国の古代寺院」についての講演会があるのでレポートして欲しい・・という依頼があった。東かがわ市には「白鳥(しろとり)廃寺跡」というのがあるので、その講演会だな・・ということで行ってみた。
昔の讃岐には、30もの古代寺院があったとされる。その頃、他国には10ヶ所ほどの寺院しかなく、讃岐の30以上という寺院は多すぎる。その訳は何か・・・というテーマだった。
ところが、中に入ってみて・・「じぇじぇじぇ・・」となった。入口には「考古学講座」という看板があり、こうした発掘された軒先丸瓦などの展示がある。そりゃ、そうだ。ここは「埋蔵文化財センター」だ。私は「考古学」には全く興味なんぞないのだし、全く・・「お呼びではない!」のだ。私は僧侶であり、俳人であり、放浪の文学者。全くのお門違いの講演会・・・。
こういう発掘現場の説明を聞いても・・・馬の耳に念仏、のれんに腕押し、ぬかに釘。ただ・・退屈するばかり・・・。お隣ではいびきを書いていねむりする猛者が居る。
でも、友人にレポートを提出しないとあかんので、それなりには聞いていたつもり。とにかく、南海道という古代の幹線道路に沿って、国策として寺院が置かれ、鎮護国家のために仏事を執行し、写経をし、法会を催したもの。だから、僧坊などは掘っ立て小屋の板屋根で、寺院も小さく簡素な構造になっていたらしい。
だから、金堂は狭く、今の「内陣」程度。外の広場が「テラス」であり、「外陣:げじん」であって、そこに下級の僧や尼、民衆たちが集まって法会に参加したものと思われる。塔は「仏舎利」を納めた佛塔であって、寺院のシンボルだが、芯柱は細く短く、せいぜい三重の塔らしいと考えられる。
これは、白鳥廃寺跡から発見された螺髪(らほつ)で、お釈迦様の頭のパンチパーマのうちの一個らしい。ということは仏像は粘土で作られたものだということが知れる。その高さは4.85mであったらしい・・・。
つまり、古代の讃岐は大陸や朝鮮半島と中央政権との間にあって、重要な交通路になっていた。そのことから地方豪族らが中央政権と結びついて、多くの寺院を経営していたと考えられる。しかし、平安時代・鎌倉時代を経ると、氏寺や民間の寺院が台頭し、官寺であったこれらの寺院は廃絶してしまったと考えられる。
栄枯盛衰は世の習い。南海道という幹線道路もいつしか埋没してしまい、その姿を探ることができないが、古代寺院はその埋蔵された瓦や佛器などから、少しずつ、その姿を見せ始めてくれている。
で、今日のお昼はここになった。高松市香南町横井にある「宝山亭」という」一般店。講義が11時半まで。その後、質疑応答があって12時を過ぎてしまって・・・。あちらこちらと行列のあるところを素通りしてくると、ここに落ち着いた。ここまで戻ると13時前になったし。
これがここの名物!の「おばけの小」で400円。どんぶりは「大用」で、どんぶりいっぱいの揚げがどぉぉんと。真ん中に乗っているカラシを出汁に溶かせながら食べる仕組み。ネギはこの揚げの下に乗っている。唐辛子は・・これを半分、めくってから振りかける。暑いときにこそおいしい・・・おばけである。
午後からはお昼寝をすれば、早くも15時。迷犬ごんの散歩、お風呂の支度に洗濯物の片付けをすれば17時の夕食になる。あっという間の一日が暮れる。
今日の掲示板はこれ。これだが、私が言うてる訳やない。「ウソくらべ 死にたがる婆 とめる嫁」という川柳がある。たしかに、「心口各異 言念無実」(しんくかくい ごんねんむじつ)という経典の言葉のように、私たちの心と口は各々(おのおの)異なることがある。 たとえば、心の中では相手を馬鹿にしているのに、口では上手に誉めたりするなど、心と口が一致しないこともしばしば。
姑(しゅうとめ)は、嫁が自分を大事にしないので、「わしも歳だし、死にたくなった」と嫁に嫌味を言い出す。本心はもちろん死ぬ気などサラサラないのだから、真っ赤なウソ。ところが嫁は嫁で、「お母さん、何を言われるんですが。お母さんはこの家の柱じゃありませんか。百までも千までも長生きしてくださらないと、私たちが困ります」と、心の中では“いつまで生きているつもりだろう。いい加減に死んだらいいのに”と思っていながら、役者よりも上手に演技してしまう。こうして、姑も嫁も、心にもないことを言って、ウソくらべをしているのである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。