さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7度から11度、湿度は70%から64%。日向(ひなた)では暖かかったが、日陰に入ると身体が震えるほどの冷たさだった。風は2mから3mの北北東の風が少し・・・。明日の9日は、気圧の谷が近づくため次第に雲が広がり、夜は雨となり雷を伴う所がある見込みらしい。
昨夜は娘の誕生日と、忘年会を兼ねての宴会だった。こちら四国では、「お客」という。わたしが子供の頃・・・昭和の20年代後半から40年代くらいまでだっただろうか、「祥月命日」には親戚一同が集まってお坊さんを呼んでおつとめをして会食をしたものだった。それを「お客」と呼んでいた。
だから、じいちゃんとかばあちゃんの「おしょうつき」が近くなると、「そんなことしよったら、お客には連れていかんのでぇ〜」と、祖母や母が口癖のように云ったものだった。その「おしょうつき」には、同年代の親戚の孫たち(同年代の子供たち)が十数人も集まってきたから、それに連れて行ってくれないというのは、今のUSJやディズニィーシーなんぞに連れて行ってもらえないくらい辛かった。
何かのはずみで、父ちゃんと二人きりで取り残された時には悲しくて悲しくて涙が出た。それほどに「お客」はすばらしい世界だった。何の娯楽も遊具もない時代、同年代のこどもらと遊ぶことほど楽しいことはなかったのだ。学校も違う、クラスも違う、方言も違う子供らが集まるのは、まことに「法事奉賛・孫子の正月」だった・・・。
だから・・・「にゃくいちにち にゃくにぃにち にゃくさんにち・・・」という眠たくなるようなお経にも我慢をして待った。その頃のおとき(食事)も珍しい物はなかったが、とにかく親戚の子供と遊べるのが楽しかったものだった・・。
そんなこんなで、昨夜は飲んで話して食べて飲んで・・・。何時にどうやって寝たのかも覚えてはいない。朝方に、喉のいがらっぽさで起きたようなものだった。
さて、今日は12月8日。成道会(じょうどうえ)の日である。お釈迦様が菩提樹の木の下でお悟りを開かれた日だという。そうそう、この前の「おへんろつかさ養成講座」の時、先生役の先輩が、「お釈迦さんが生まれたんはいつ?」 私「4月8日!」 先輩「お釈迦さんが悟りを開いたんはいつ?」 私「12月8日!!」 先輩「何の木の下で?」 私「菩提樹の木の下で・・・かな」 先輩「お釈迦さんが亡くなったんはいつ?」 私「2月15日!!」 先輩「何の木の下で?」 私「沙羅双樹の木の下で!!!」・・・。さすがやろ・・・。私がお坊さんであることは誰も知らない。この前に、お釈迦さんのことを書いた本を読んだばかりやったことも、誰も知らない・・・。
その成道会の日に生まれた、私の娘ももう、41歳になるという。私たちが結婚したのも42年前になるのか・・・。おじいちゃんになった筈だ・・・。
ということで、今日は完全休養日になった。とはいうものの、朝食から「迎え酒」ならぬ「迎えビール」で朝ご飯を食べ、お昼は奥方の作った「すき焼きうどん」に缶ビール2本の大サービス版。夕食は昨夜の残り物の「牡蛎フライ・海老フライ」に湯豆腐、ほうれん草のおひたし他で・・・またもや「お客」。
「毎日が忘年会です・ボクの家」・・・。
そうです。今日は、日米戦争の開戦記念日でもあります。太平洋に散った多くの同胞に「最敬礼!」であります。合掌 お念仏であります。
今日の掲示板はこれ。「人間は一生のうち逢うべく人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないように」というもの。森信三先生の言葉である。
「人生、出会うべき人には必ず出会う。しかも、一瞬遅からず、早からず。しかし、内に求める心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず。」(森信三)というのが原文。
森信三先生は日本の哲学者、教育者で、「人生二度なし」の真理を根本信条とし、「全一学」という学問を提唱した。自分から進んで求める心がなければ、目の前に出会うべき人がいても、関りは生まれない。自分の人生を決めるような、生涯の師と呼べるような人と人間は必ず逢えるが、自分から進んで探す心が大切だと言っている。そう、自分に求める心がなければ、毎日出逢う人すら全くの他人になってしまうと云うことらしい・・・。
じゃぁ、また、明日、逢えるといいね。