朝方は24度ほどになって、湿度もなくてさわやかだったので、そろそろということでお出かけになった。で、どこに行こうかと走りながら考えるのだから危ない話だ。
江戸時代から四国の街道は全て金比羅へと集まり、高松・丸亀・多度津・阿波・伊予土佐の五街道が開かれた。明治22年には多度津〜琴平間に汽車が走った。その後、多度津ー丸亀間、丸亀ー高松間にも線路が開かれた。ということで、今日の目的地は琴平になった。
これがJR琴平駅で、大正時代に建てられたものを踏襲している。当時はこんなものだったらしい・・。
それにしても駅前は広くて何もない。今の石灯籠とか狛犬なんぞは撤去したほうが似合うと思うのだけれど・・・。
駅から駅前を眺めたところ。中央の鉄塔が旧NTTの電話局跡。ここにもよくお邪魔したものだった・・・。
これが高灯籠で、ここに灯ををともしたら、多度津や丸亀の湊から見えたんだろうか・・・。私たちのご先祖の大川郡の講中が建てたものらしい・・・。京阪神からやってくる旅人の目標になったことだろう。
これが今の「コトデン琴平駅」この駅舎は昭和63年に供用開始されたもの。右端に高灯籠の一部が見える。でも、こんぴらさんには似合ない駅舎だなぁと思った・・・。
この絵はがきは昭和二年に琴平ー高松間全線が開通したときのものらしい。背の高い洋館風の建物だった。
その後、多度津ー琴平間を走っていた琴平参宮鉄道(コトサン)の走っていた「岩崎隧道」を見学したり、当時の線路跡を走ったりした。
ここは複線であったことがわかる。今は市道として利用されている。
外はまだまだ暑いので、参道には入らずにそのまま琴平を出た。まだ時間は10時半だった。琴平でおうどんは少し早いかなぁと思って、そのまま・・・まんのう町に入った。
で、まんのう町吉野のセルフ店「木の崎うどん」の新店に寄った。旧店舗はこの先の旧道側にあったのを県道沿いに移転して来た。
今日は変わったものを・・・ということで、「肉味噌ぶっかけ小の冷や」をお願いした。でも、ご覧の通りお肉なんぞはどこにも見えない。白いものは温泉玉子と大根おろし。ということは、お味噌の中にお肉が入っているんだろうか・・・。お肉の感触はどこにもなかったけれど・・。これで430円だった・・・。
午後からはまたも讃岐鉄道・琴平参宮電鉄・琴平急行電鉄・・・・・なんぞの資料を整理していた。どこからどこまでが「琴電」で、どこからが「コトサン」で、「コトデン」というのはいつからか・・・みたいなことでオツムがグニュグニュになった・・・。
今日の掲示板はこれ。琴平のお寺にあったもので、「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あればはなるる」歎異抄からのお言葉である。お念仏も信心もまた同じ。いくら信心しようとしても縁がなければお念仏は口からは出てこない。阿弥陀さんでも観音さんでもお地蔵さんでもだが、いくら手を合わせても縁がなければ感謝の心も信心の喜びも出て来ないというもの。無理せずに縁が来るまで待つしか手立てはないではないか・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。