さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、みぞれや粉雪が降ることもあったが、夕方には雨になった。気温は3度から2度、湿度は73%から64%。風は4mから0mで北北西の風が少し。明日の11日は、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みとか。
周りの雪はほとんど消えたけれど、まだ北側の屋根や日陰に白い雪がところどころに残って見える。
我が家の屋根から落ちてきた雪は溶けずに硬いままで残っている。裏手の勝手口もそのまんま。硬くてスコップくらいではどうにもならなくなっている。今週末の母の一周忌まで残ったまんまかも知れない。
ということで、今日も引き籠もり。「俺たちに明日はない。キャッシュカードに残もない」。出歩く理由もないし、小遣いもない。
ということで、今日はお仏壇の片付けやら母の一周忌法要の準備やら。経机やら焼香盆・前卓(まえじょく)などの準備。和蝋燭や線香の確認などなど。
京都から戻って来るのが14日の夜。15日に仏華や供え物をお供えして・・16日が母の「むかわれ」の法要。慌ただしいことやね。だから、できることは、今日中にやっておきたいものだなぁと云うことで。
午後からは京都行きの準備・・。準備と云うても、すっかりと準備はできているのだけれど、「健康保険証」とか持って行く聖典とかお念珠の確認なんぞを・・・。けっこう、なんだかんだとお荷物になる。
この旅行バッグと背中にホーキンスのリュックザック。その中にはノートパソコンやらタブレット端末などの情報機器を背負っていく。これらが私の耳となり眼となり口になる。
天気予報では、今週は晴れるということで安心していたのだけれど、なんだか寒波が居座ってしまったようで不安定な天候になってきた。それだし、四国の高速道路も貧弱だから。高速バスが動かないって事はないんだろうか・・。明日も気温は低そうだし・・・。
ゴミを片付けて気づいたのだが、今年はなかなかにふきのとうが出て来ない。一本や二本ではかわいそうで食べられない。例年、この頃には少しばかり出ていた筈なんだけれど。まぁ、この寒さではなかなか出たくても出られないか・・・。
昨年の今頃は、入院している母の看護に行っていたんだなぁと、しみじみと思ったことだった。そして、母の状態が進んで来たもので、退院をするという日に、私が京都の研修に行った・・・と記憶している。明日、私は京都に向かうのだけれど・・・。複雑な思いが胸を去来する・・・。
今回は、京都から戻ったら、母の一周忌ということになっている。だから、京都で、母のために香りの良い「抹香」を選んで買って来たいものだと思っている。母へのお土産はそれだけだ。
今日の掲示板はこれ。「迷いの岸から悟りの岸へ 合わす手と手が渡し船」というもの。さすが、いいことを云うなぁと思った言葉だった。彼岸とは、仏さまの悟りの世界、それに対して私たちの住む世界を此岸と呼んでいる。 この二つの世界の間に流れているのが三途の川。この川には、その名の如く火途(地獄道)・血途(畜生道)・刀途(餓鬼道)の三つの瀬があり、人は死後、その行いや罪の重さによって、いづれかの途を渡らねばならないと云う。これでは向こう岸にたどりつくのは無理。ほとんどは川に溺れ、今以上の苦しみを味わう事になってしまう。そこで仏さまは人々に「今までの生き方を悔い改めよ」と懺悔の法を説き、救いの?船?を用意されるのだ。どんなに大きな石でも、船に乗せれば水に浮かぶように、罪の重さで、苦しみの底に沈もうとする人々に、大切なのは素直に反省する心である。たとえ小さな針でも、そのままでは水の底に沈んでしまうもの。迷いの岸から、悟りの岸へ。あなたの合わす手と手の中に、仏さまの?渡し舟?はいつでも用意されているのである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。