Quantcast
Channel: まほろば自然博物館
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3558

山吹は 歴史のひだを 開かせる

$
0
0

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で、晴れている時間帯もあったが、雲が広がりやすく、夕方からは雨の降る所があるらしい。気温は14度から18度、湿度は94%から68%とやや蒸し暑いことだった。風はおだやかで1mから2mの北東の風が少し。明日の5月1日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、気圧の谷や湿った空気の影響で明け方にかけては雨の降る所がある見込みとか。

 

 朝方は湿度が高くて息苦しくて6時前に起きてしまった。仕方がないので、早めに「迷犬ごん」の散歩に行った。で、それに引き続いて、集落内周回の1時間コースの散歩に出掛けたが、どうにも息苦しくなって引き返してきた。こういう時には「利尿剤」と汗出しで肺の中の水分を出すことだなぁと草刈りをすることにした。

 

 オーバーオールに着替えて、刈り払い機で裏庭の草刈り。これらの植物は奥方の「けいこばぁ」が植えたもの。植えるのはいいが草刈りもやって欲しいもんだ。で、下手に切り飛ばしたら雷が落ちる。

 

 肺に溜まった水分が抜けたら、心臓を圧迫しなくなるので息苦しさが消える。消えるのはいいが、なぜ、肺に水が貯まるのか・・・。そもそも肺に水が貯まれば死んでしまいそうなもの。間違って水分が肺に入ったら思い切りむせて咽せて、咳やくしゃみやで吐き出してしまうもの。しかしのかかし、レントゲン写真で見れば、肺の下の方に水が貯まったように見える・・・。それが本当に水なのかどうかは知らないが。

 

 午後からは気分が良くなったから、徳島県美馬市脇町にある「脇町安楽寺」に寄ってみた。浄土真宗本願寺派・千葉山安楽寺の本堂。平成7年4月に落慶法要を行った・・・とある。

 

 ここの墓地奥に、第12世将棋名人・小野五平翁の碑がある。五平翁は天保2年(1831)木屋五平(宿屋)で生まれ成長した。泊まり客の指す将棋を見たのが病みつきとなり、三度の飯より将棋が好きになった。持って生まれた素質とその熱心さのため、7、8歳の頃すでに五平を負かす者はなかった。19歳(1850年 嘉永3年)の時江戸に出て将棋名人天野宗歩に弟子入りした。(安楽寺HPより)

 

 ついで向かったのがこちら。美馬市美馬町にある「千葉山安楽寺」こちらは先の「脇町安楽寺」に対して「美馬安楽寺」と云うらしい。どちらも住職さんは「千葉恒乗」さん。安楽寺を一般に「アカモン寺」と呼ぶほど、この山門は近郷近在の人々に親しまれ、寺のシンボルとなっている。朱塗りの重層門(二層・三層・・・の重層構造の門)で、県下五大門の一つに数えられている。2009(平成21)年より山門の改修工事が行われ、翌年3月、色鮮やかな「赤門」が完成している。

 

 別に御用とかはないのだけれど、「昨年の今頃は藤の花がきれいだったのになぁ・・」と云う、単純なことからだった。千葉山・妙音院「安楽寺」は「浄土真宗・本願寺派」に属していて、もとは真如寺(しんにょじ)と称した天台宗の四国総録〈統轄〉であった。鎌倉中期の1259(正元元)年、関東から関東の豪族であった千葉彦太郎常重が入寺し、浄土真宗 安楽寺と改め現在に至っていると云う。

 

 阿波の守護職 小笠原・細川・三好の各国主と姻戚関係を結び、庇護をうけて寺勢を拡張し、阿波・讃岐・淡路の各地に寺院を創立し、四国における最古、最有力の真宗寺院として栄えた。藩政時代にも、藩主の優遇のもとに繁栄を続け、江戸時代の末寺帳によれば、その中期には、阿波に21、讃岐に50、伊予に5、土佐に8、計84か寺の末寺があったという。(同寺HPより) 私の所属寺院の「海暁山勝覚寺」も、かつてはここの末寺であったらしい。

 

 これが、今日の「阿波安楽寺」の本堂。手前は「大玄関」で、正面に「能舞台」がある。この日は大玄関が開いていた。

 

 で、おそるおそる中を覗くと、中は・・・こうなっている。

 

 とてもじゃないが、こんな玄関では「たのもう・・」とか「ごめんください」とかと云う雰囲気にはなれない。「失礼しました・・・」と、本堂へ・・・。

 

 本堂脇にある「親鸞聖人像」。きりりとしていてたくましい聖人像である。

 

 そうそう、今日の目的の藤の花。今年はどことも藤の花が遅い・・・。昨年は20日前だったのだが、大きくきれいに開花していていたのだけれど。今年はようやくに開花した程度・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去が咲いている今 未来のつぼみで一杯な今」というややこしい言葉の並んだもの。安楽寺さんのおとなりの「林照寺」さんの門前にあった言葉から。日本の陶芸家である河井寛次郎の残した「過去が咲いている今、未来のつぼみで一杯な今」という言葉からである。今、目の前に咲いている花というのは、これまでに自分が努力してきた結果であり、現在努力していることがつぼみで、未来に咲くであろう花だと云うのである。過去の努力と現在の努力、そしてこれから先の努力の積み重ねが素晴らしい人生を作っていくということなのであろう。今あるつぼみが素晴らしい花を咲かせてくれるように、精一杯頑張ること、そして日々努力することを忘れてはならない。自分の未来にどんな花が咲いてくれるのかを楽しみにして、河井寛次郎の言葉をかみしめて毎日お念仏させていただきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3558

Trending Articles