さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、午後からは大気の状態が不安定となるため雨や雷雨の所がある見込みだとか。そう言うわりには雨は降らない。気温は21度から34度、湿度は94%から61%。風は2mから5mの南東の風が吹いていたこともあった。明日の30日は、南から湿った空気が流れ込むため雲が広がりやすく、午後は雨や雷雨の所があるらしい。
今日は久々に香川県立図書館に行ってきた。ここのクマゼミは元気で朝から「シャンシャンシャン・・・」と、大合唱。
ここへ網や虫かごなどを持ってこどもを連れてくる母親がいる。それほど多くのセミがいるのだが、こういう場所で、虫取りをしてもいいんだろうか・・・という疑問を持った。昨年だかに、仏生山法然寺の池で鯉を網ですくう母と子を見た。「それはあかんやろう・・」と思ったが、注意する権利があるんだろうかと思って眺めて通ったが・・・。
いやに子供が大勢いるなぁと思えば、そうなんだ夏休みに入っているんだ。ま、とりあえず・・・と、入ってみたけれど、冷房はあんまり効かせていないようだし、こどもがうろうろしていたりしてなんだか落ち着かない。
専門書コーナーへは子供は寄りつかないだろうと「空海コーナー」に廻ったが、さすがにこれは難し過ぎて眠たくなってきてしまう。
と言うことで、今日は先日の高知方面へのバス研修のレポート作成をやっておく。早めに記録をしておかねば右から左へと抜けてしまって忘却の彼方へと消えて行く。
毎年、この時期になると、セミの鳴く時期、鳴く時間帯、鳴く温度・・・というものが話題になって、それらをどこかに書いた筈だと思って探すのだが見つからない。また、グーグル検索などで調べてみても曖昧なことしか出て来ない。こういう時代「地球温暖化」とか「生物の多様化」などで公式というか対応とかが変化してきたのだろうか。
我が家の場合、朝方は「カナカナカナ・・」というヒグラシの声で起こされる。おそらく20度前後の気温と思う。セミは17度以下では動けないとか聞いた。でも、20度前後に温めると、再び飛び上がるのだそうだ。
それから、「ジジジジ・・・・」と鳴くアブラゼミ。これも午前中いっぱいだった。「シャンシャンシャン」と鳴くのがクマゼミ。これもほぼ午前中。午後からも鳴いているのも聞いたことがあるから流動的かも。
そうそう、今日の夕方の「迷犬ごん」の散歩の時にはしばらくだけれど、「ミーン、ミーン・・・」と鳴く、夏を代表するセミの声、「ミンミンゼミ」を聞いた。その後・・・・
わずか、数分だったけれど、「ツクツクボーシ・ツクツクホーシ・・・」と鳴く、「ツクツクボウシ」の声も聞いた。「お、いよいよ、おまえの出番なんか・・・」と思ったことだった。その後は「カナカナカナ・・・」というヒグラシの声。今日はそれでおしまいみたい。暗くなれば虫の世界の音楽会。
しかしのかかし、昨日の涼しさとは打って変わって、今日は暑い一日になった。真夏だ、土用だと言われれば仕方がないのだが、とにかく暑くなった。暑いときに暑くならないと水稲とかの生育には不都合が生じるらしい。
そうそう、昨日、奥方のけいこばぁの知り合いの農家で、早くも稲の収穫をする様子がテレビで放映されていた。東かがわ市小砂(こざれ)の丸山繁さん(51)が、「アキタコマチ」の収穫をやって、そのあとに田植えをして、讃岐では画期的な米の「二期作」をするのだそうだ。小学生の頃には、高知の二期作を勉強したけれど、讃岐でも二期作とは頑張るなぁ・・・。
その小学生のころ、「二毛作」と「二期作」との区別がよく判らずにいて、いつもテストでは「ペケ」がついていた。二毛作というのは、麦を作ったあとに稲を植えることだと、親父に教えられたのだが、いつも左の耳の穴から右の耳へと抜けてしまうのが常だった。
今日の掲示板はこれ。「念仏は悩みをなくすのではなく 堂々と悩んでいける道である」という曽我量深先生の言葉である。妙好人といわれた庄松さんはまさしく安心して悩むことができる道を見出された。「(悩みを)持ったまま」「邪険という角を持ったまま」、安心して堂々と悩んでいける道しか、私たちがすくわれる道がないと仰せになったのは法然上人さん。そこには、いのちを我が物にして苦しんでいたことから解放された法然さんの喜びがある。思いどおりにならない状況のなかに、実は光輝く世界があるもの。法然さんは、「真宗の教えは立派な人になっていく教えではない。人間は愚かであるがゆえに、はかりしれないいのちからの呼びかけを常に聞いていかなくてはならないのだ」と言われている。この呼びかけを忘れて、自分の思いにとらわれてしまうのが凡夫とよばれる私たちのあり方なのであろう。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。