丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11度から21度、湿度は80%から46%、風は1mから3mの北の風が少し。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気の影響で夜には雲が広がる見込みらしい。
だいたいの作業予定は終わって、今日は休養日。明日の日曜日は廣島神社の秋の例大祭。この島にはどれくらいの人がいるのだろうかと丸亀市のHPで調べてみた。
この大きな島が「しわく広島」左上が「手島」、小さな島が「小手島(おてしま)」、この三つの島で「広島町」となっている。9月1日現在で、「広島」の人口は219人の148世帯だそうだ。三島を合わせても289人の186世帯。私がここに来た平成7年には、広島だけで640人もいたのだけれど。
で、この私の住んでいる「江の浦」地区は、男性16人、女性19人の計35人の26世帯だそうだ。これではお祭りをすると言うても形ばかりになりそう。最近、めっきりと減ったなぁと思うようになった。
ということで、朝の間は島を一周してくることにした。作業用のつなぎ服を洗濯したので、これが乾くまでは作業はお休み。
昨日は「いろは」の「い」だったけれど、今日は「ろ」である。「六十の手習い」と刻んである。六十の手習いとは、年をとってから学問や習い事を始めること。 六十でも七十でもいいらしい。
ちなみに「いろは」の「は」は、「華のいのちは短くて」というもの。歌謡曲の歌詞みたい。この45基のいろは石は、島出身の書道家・故藤本正樹(玄幽)氏が観光発展を願い、書を青木石に刻んだもの。島の沿道に500m間隔で置かれ、それぞれに名言が刻まれている。
今日は土曜日だったせいか、草を抜いている人や、畑仕事をしている人などがぽつぽつと見られたし、それぞれの集落の波止場では、さびき釣りでアジを釣っている人がいた。
それをいただいてきた。サビキ釣りで、こんなものが連れるらしい。
ここが、島唯一のお店。この島には、スーパーもコンビニもなくて、幾つかあったお店も、過疎化と高齢化でここだけになった。生鮮食料品は、やはり丸亀市に出なくてはいけない。蚊取線香と、お祭り用のお供えにと清酒を買ったが、目を疑うようなお値段だった。
お米を作る農家も3軒だけになったと聞いた。やはり高齢化が進んだせいらしい。
今は石材産業だけの島になった。この石材屋さんも、朝一番のフェリーでやってきて、17時半のフェリーで帰る通勤石屋さんばかりになった。
14時半に、弟二人が島にやってきた。次男は魚釣りに、三男は草刈りにやってきたという。草刈りも剪定も終わったのだけれど。今晩は宴会になるのかな。
今日の掲示板はこれ。「生きてきてよかったと心の底からうなずける道を歩みたい」というもの。確かに誰もみんな、こうした道を歩みたいとは思っているのだけれど、そう、うなずける道にたどり着くまでが大変だ・・・。毎日、毎日が試練ばかりのような昨今だから。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。