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Channel: まほろば自然博物館
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しぐれては 片づけ終えて 日が暮れる

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 さぬき市地方は、九州の南にある前線を伴った低気圧の影響で雲が広がり、雨が降っている。気温は13度から16度、湿度は84%から94%、風は2mから1mの北の風が少しばかり。明日の10日は、寒気の影響で雲が広がりやすいが午後からは晴れそうとういう見込み。

 

 今日はさぬき市寒川町にある「寒川農村環境改善センター」での講演会があって、そのお手伝いの日。

 

 制服に着替えて、会場準備のために午前8時に現場トーチャコ。

 

 テーブルを並べ、イスを運んで並べていく。みなさん、手慣れたものだ。

 

 こうして100人分の席が用意できた。

 

 今日は「弘法大師信仰と四国遍路」講座の第二回目で、「四国遍路とそれを支えた文化」ということで、徳島・鳴門教育大学副学長、大石雅章先生の講義。

 

 第一回講義は9月中旬にあった。

 

 空海と名乗る前、教海とか無空とかと名乗った時代に四国で修行したことが記録には残る。阿波の大滝岳とか室戸岬などであった。その後、西行や一遍などが四国で修行し、その後も多くの山伏や修行僧が海辺をたどる「四国辺地(へじ:へち)」「辺路(へじ)」が流行した。その時代に宿も茶店もないのだから、彼らはどうして生きて行けたのか。

 

 そこには「行乞(ぎょうこつ)」とか「乞食(こつじき)」と呼ばれる「修行」があった。門付けして幾ばくかの喜捨をいただく行為であった。それがやがての「おせったい」になったのではないかと先生は言う。

 

 四国の遍路がどうして始まったのかという話は前回でも聞いたが、今回新しく紹介されたのが、「後藤家文書」で、行き倒れ辺路の処理や病気辺路への対応などを記した庄屋さんの記録である。

 

 そこにはライ病辺路でも往来手形を持っていると、普通の人と同じような扱いを受けられたとか、往来手形を盗まれた辺路にも辺路としての対応がされたが、往来手形のない者は「乞食体」としてうち捨てられた・・・というものであった。こういう文書は迫力があった。

 

 最初と最後は最近のお接待のお話になったが、「お接待」というのは、物やおかねを施すことではなくて、自分の身代わりとしてのおへんろさんにお願いする行為、お大師さまへの供物であり、与えて見返りを求めない行為、与えっぱなしでいて、こころが豊かになる行為・・・などと言われて、二百年以上も続く文化なのである。

 

 お接待を通して、人間と人間のこころの交流があるのだと、大石先生は結んだ。

 

 9時半から11時半までの2時間の講義にみなさんはうなずかれたりメモを取ったりとしていた。

 

 講義が終われば、会場の片づけ。こういうのが私たちのお役目。講義を聞くのは役得みたいなものか。10分ほどですっかりと片付いてしまって解散。12時前には自宅に戻ってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「高い山ほど裾野が広い」というもの。子どもの頃、砂場で山をつくったとき、高い山をつくるには、裾野を広くする必要があることをだれでもが経験したのではないだろうか。脳科学者の池谷裕二さんは、『ゆらぐ脳』の中で、「研究を積み上げるには裾野を広げることが大切。どれだけ、同部門のサイエンティストと異なる分野の刺激を受けているかが、研究成果の分岐点になる」と書いている。一般的には「視野が広い」とか「引き出しが多い」とか「ポケットが多い」とかと言われることもある。今日の大石先生の講義を受けてきて、「高い山ほどすそ野が広いなぁ」と感じたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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