さぬき市地方は、四国の南海上を進む低気圧の影響で、一日中雨が降っていた。気温は5度から9度、湿度は89%から90%、風は1mから2mの北西の風が少し。明日の10日は、強い寒気が流れ込み冬型の気圧配置が強まるため雲が広がりやすく、雪や雨の降る所がある見込みらしい。
昨日は春のような陽気だったのに、今日は一転して寒くて冷たい一日になった。
雨では出かけても楽しくないので、今日はデスクワーク三昧になった。例の「塩飽小坂小誌」の解読作業である。この本は昭和10年の発行になるものだが、旧漢字字体だし、前編カタカナ書きになっているので、「読んde!ココ」というOCRで読むと半分以上が文字化けしてしまう。
それを丹念に解読しながらワード文書に直していく。一気にかな漢字交じり文にすればいいのだが、なるだけ原本通りに写して行く「𦾔」とか「仝」とか、滅多に使わない漢字に悪戦苦闘中。
どうにか、「小坂騒動」や「大山神社」という部分を処理することができた。維新前後の、無くなってしまった「人名権」を守ろうとする権力側と、その「人名権」を返せ・・という漁師たちの戦いだった。480人が捕虜となり、18人が犠牲となった歴史の間の悲惨な争いだった。
これは、塩飽史談会の中西先生が現代文に書き写したものだが、これを電子化してくれていると有り難いのだが、この現代語訳を参照しながら、旧字体で打ち込んで、そこから、この現代語訳に落としていく予定である。なんとも面倒なことをするものだが、この手書きの原稿ではOCRが読み取ってはくれないからである。
これが大山神社という小坂の氏神さんである。ここに、小坂騒動を鎮撫した「宮地彦三郎」をまつる「八島神社」がある。
雨は降ったり止んだりを繰り返しながら、まるで梅雨時の雨のように降っている。
ここには、法然上人が塩飽島(塩飽本島)に宿泊した時の様子も記載されている。今日はここまでを読み込んだ。ここには、まず、小坂に着いて上陸して休憩してから、笠島の地頭高階保遠西忍の所に向かったとあるが、それは少し違う気がする。西忍の館から子松庄に向かう途中に小坂に寄ってから丸亀に向かったとする説が圧倒的に多いのだ。
これが小坂の阿弥陀寺で、ここに、上人船繋ぎの名号石が保存されている。
これがその、船繋ぎ石で、上人は紙に六字の名号を書いて与え、それを土地の人びとが、この船繋ぎ石に六字の名号をノミで掘ったというもの。
わが家のサンシュウユの花もきれいに咲きだしているし、
梅の花も遅まきながらきれいに咲きだしている。花壇のチューリップもすくすくと成長してきている。
今日の掲示板はこれ。「たとえどんなに辛くても 春を迎えぬ冬はない」というもの。同じような言葉に、「止まぬ風はない」、「あがらぬ雨はない」、「山よりでっかい獅子は出ぬ」、「明けない夜はない」、「来ない朝はない」などが思い出される。「秋が来ない夏はない」、「春が来ない冬はない」シリーズみたいなことだ。明日からは荒れた冬の天候になるらしいが、どんなに寒くても辛くても悲しくても・・・春を迎えぬ冬はないと信じて今日に感謝したい。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。