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Channel: まほろば自然博物館
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雲のない 空いっぱいに ホトトギス

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から次第に雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は11度から25度、湿度は80%から45%、風は2mから6mの南南東の風が少しばかり・・。明日の12日は、低気圧や前線の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 掛かり付けの歯医者さんから、「そろそろ虫歯の治療をしましょうか」と言われたので、出かけることになった。今のところ、痛みも自覚症状もないのだが、そろそろ、歯が危なそう・・・というので、仕方なく出かけたが・・・。

 

 下の前歯が虫歯になっていて、折れそうで危ないというのだが、ヘタに触ると折れてしまいそう・・・ということで、あれこれやってみたが、今の段階では、このまま置いておこうか・・ということになった。痛みが出るか、折れてしまったら、そのときに対処することにして、治療はやめになった。なんじゃらほいほい、なんじゃらほい。

 

 で、久々に、ここにやってきた。東かがわ市小砂(こざれ)にある、「庄松同行墓所」またの名を「小砂説教所(跡)」である。昨日も観光バス2台がやってきた・・・と、地元の方が教えてくれた。その割に、芳名録には一人分の署名しかなかったのだが・・・。

 

 これが、「釋正真信士墓」と刻まれた、庄松(しょうま)同行のお墓である。このお墓は追善供養の墓ではなくて、報恩感謝の石碑である。没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

  

 右一間は本尊阿弥陀如来立像で、左三間が庄松同行に関する祭礼壇である。読経拝礼は、この尊前前で行われる。

 

 これが、その「庄松同行」の似顔絵である。庄松同行は讃岐の国大川郡(ごおり)丹生(にぶ)村土居(現・香川県東かがわ市土居(どい))に生まれて、父を谷口清七といい、真宗興正派の同市三本松にある海暁山海暁閣勝覚寺の門徒であった。世にも稀な信者で、頑愚無欲で一生涯を独身で暮らし、東西に遊化し、よく人を諭したと伝わる。その言うところは質素ぼくとつ、ありのままにして、しかもご法義にかない、おもしろくありがたくあったと言われてきている。

 

 「石田村の一蔵同行が見舞いにきて云えるには、同行が死んだら墓をたててあげましょうと云えば、庄松『己れは石の下には居らぬぞ』と云われた。」絶対の慈悲に浴して、大信をさずかった者には、墓も卒都娑もいらぬ、追善、供養、施餓鬼一切無用である。追善供養は悪道に堕ちた者へする仕業である。庄松は極楽往生は治定の身であるからである。“親鸞聖人は、自分のなきがらは加茂川の魚に与えよ”と仰せられたではないか。「庄松は墓石の下にはいないぞ」である。然し、庄松の墓があるのは、御同行による報恩謝徳のはからいである。御恩報謝の念仏と同じである。供養のためではない。

 さて、ここにも半年ぶりかでやってきた。さぬき市津田にある「さぬきうどん羽立(はりゅう)」さんである。一般店でありながら、早くて安くて旨いお店である。

 

 ここは、こういうカウンター席だけしかなくて18席。それでも、回転が速いから、ここで行列になるのは見たことがない。席に着いて注文して、出来上がれば、カウンターの上に置いてくれるので、それを取って食べる。食べ終われば、上の段に戻して、会計をしておしまい。

 

 今日もあっさりと「わかめうどん」で300円。

 

 第一陣の田植えはあらかた終わったみたい。次は6月上旬から中旬・下旬・・・と続いていく。水利組合の慣行などから、6月10日とか、満濃池のゆる抜きとかが行われてから田植えに入る。このあたりの県営ダムの放水は6月上旬になる。

 

 東かがわ市からさぬき市へ入り、北から北上してさぬき市多和から兼割を経由して大窪寺で休憩。ここの藤の花もおしまいの様子。花の季節も一段落したみたい。

 

 ちょうど、お昼時ともあって、お遍路さんの姿も三々五々。

 

 今日の掲示板はこれ。「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角があるまんまと聞こえなんだか」という、小砂説教所跡にあったお皿に描かれた言葉から。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありがたかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいがのぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるままお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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